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by gionchoubu

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朝妻の白拍子

朝妻の白拍子_f0347663_12222168.jpg
                          朝妻 

米原の近く、天野川河口にある朝妻湊は、琵琶湖有数の湊として知られ、この湊を含む朝妻村は古代の坂田郡朝妻郷の遺称地であり、陸路、水路の要所として栄えました。

しかし天正年間に(1573―92)に長浜湊開かれると衰微し、江戸期になると、朝妻千軒といわれた面影は薄れてしまいました。

西行法師が『山家集』で「おぼつかな、伊吹おろしの風さきに、朝づま船は逢ひやしぬらんん」と唄われた朝妻船こそ水上売笑婦として朝妻の里で、江戸以前たぶん滋賀県で一番古い色里の遊女の象徴だったのです。

また、也足軒通勝が船中妓女と伝える題で「このねぬる朝づま船の浅からぬ契りを誰に又かはすらん」と具体的に古の遊女船の存在を伝えているのです。

朝妻船といえば、元禄時代の浮世絵絵師、英一蝶の作った端唄「仇し波、寄せては返る浪、朝妻船の恥しや、あヽ又の日は誰に契りをかはして色を、色を、枕恥し、偽りがちなる我が床の山、よしそれとても世の中」と、鳥帽子、水干姿、鼓を置き、手に末広の扇を持った白拍子が船に乗っている姿が知られています。

白拍子は芸妓の祖先ともいわれ、鎌倉時代、源頼朝に鐘愛された千手の前(せんしゅのまえ)は琴、琵琶を弾じ、今様などを舞い、又朗詠などを吟じお酒のお供をしました

時代祭りでお馴染みの静御前も高名な白拍子で、やはり頼朝の前で、白い小袖二かさね、唐綾を上にひき重ね、矢張り白袴、割菱縫った水干を頭に舞いました。

その他、木瀬川の亀鶴、手越の少将、大磯の虎、鎌倉一といわれた微妙など皆貴人に侍った高級遊女でした。

水干に立烏帽子、白鞘巻を指した男性装束で舞う白拍子舞の祖は平安時代の若歌の前、島の千歳とされており、この舞手が遊女化したものとされています。

さて、英一蝶が描いた朝妻船は彼が晩年イメージを膨らませて書いたものらしく、最初は唯小船に烏帽子、鼓などを取り散らしている様が書かれていたに過ぎない、と山東京伝は『近世奇跡考』に書いています。

以上は『滋賀県の地名』以外に昭和四年に発禁になった田中香涯という人の『耽寄猥談』という書物を参考に書いていますが、この作者は英一蝶が水上売笑婦たる朝づま船に烏帽子水干を著せ、鼓をもたせて之を白拍子化したのは芸術的美化であろうとしています。

私に言えるのは、滋賀県の遊里史において、一番新しいのが雄琴の特殊浴場群なら、一番古いのがこの朝妻であろうという事です。

朝妻の白拍子_f0347663_12235157.jpg
朝妻の白拍子_f0347663_12253534.jpg



by gionchoubu | 2018-07-11 12:26 | 亡くなった滋賀の遊郭 | Comments(0)