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by gionchoubu
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長浜 南片町遊郭

長浜の南片町の遊廓は北にいくと東別院大通寺に通じる為“北向きのご坊さん”と呼ばれていました。
江戸末期より長浜はカヤ、チリメン、ビロウドの生産は急ピッチに上昇し、湖北の繭の集荷、販売、生糸の取引も年々盛んになったが、南片町はその取引の中心地でした。
町制が引かれると、町の政治もここが中心となり、事実上の町議会もここで開会される始末。引山祭の行事の打ち合わせ、総当番寄り、各山組の集会もこの郭で開かれました。
また、元県議会議長田中久平が選挙違反に問われた際、なじみの女と朝鮮に雲がくれしたことがありました。大正時代の名町長で政友会の大物であった横田竜次郎はこの遊廓で大散財し、長浜きっての美人と言われた宮川楼の小奴と結婚、やはり名町長と謳われた中沢安二郎も郭の美人、竹千代を妻にしました。
名門の町長青木吉蔵もこの世界の常客で遊廓から登丁するという始末でした。
昭和のはじめには詩人の野口雨情がこの地に遊び長浜節を残しました。
さて、神戸町の山倉付近に玉徳橋というのがあり、別名“さよなら橋”で通ってました。これは片町で一夜を契ってここで「さよなら」という事から生れたものです。この南片町自体が遊廓時代、赤線時代から「さよなら」したのが昭和33年2月28日でした。翌日の新聞からその様子を見てみると、
『なごやかにお別れ会』
「南片町遊廓は二十八日に百年の歴史を閉じた。昨年末で三十数人の従業婦は五人結婚、一部帰郷更正して、残りわずか二十数人。二十八日正午楼主八人と従業婦が長楽園組合事務所に集り、なごやかなお別れ会を催し、それぞれ楼主から金一封のせんべつが送られ、お別れ会は心づくしの料理と酒で楽しい半日だった。
二十四人のうち大半が帰郷して更正の道を開くが、数人は思い出の長浜に職を求める。結婚する三人のうちT楼のY子さん(25)は三月十三日に長浜市慶雲館の市民結婚場で晴れのゴール・インをする。滋賀婦人少年室協助院岡野キクさんの親身も及ばぬ援助が実ったもの。
二十八日夜は片町最後の日とあって、宵の口からなじみ客が殺到。思い出の長浜にサヨナラだと、お客とともに町に出る姿もった。」
参照:滋賀日日新聞、昭和33年2月24日・同3月1日
