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by gionchoubu

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草津東新地ぞめき その三

草津東新地ぞめき その三_f0347663_12051534.jpg
                          東新地

昭和二十年九月二十三日の『滋賀新聞』

動員されていた「工場からの復帰姐さん二十七名が出揃い、終戦このかた(中略)娯楽境を志し、紅燈絃歌の敢闘を約す女性群が続々と馳せ参じて開業を届出ている現状」と伝えています。

終戦直後は芸妓がさっぱり売れず、もっぱら従業婦の名の、戦前なら娼妓という立場の女性が多く、一時はその数も六十人を越えました。所謂赤線地帯としての営業でした。

戦前と違うのは、客が近郷の農家や商家の主人以外、昭和二十二年から二十四年ごろまで進駐軍の兵士が来るので、カウンターを設けて洋酒バーを設置した貸座敷もあったといいます。

昭和二十九年には当時の町長が観光対策の一案として新地の門前に大ネオン一基を建てることになり町からその補助金四万五千円を出すことになり、これに対し町民から非難の声が上がりました。

なぜなら総工費十二万の大鉄骨ネオン灯にはなまめかしい裸の女性が夜空の星を眺めて寝そべっているもので、通学の学童にとって風紀上好ましく無い物だったからです。

草津新地は創業当時、構えは吉原土堤八町を模したものと言われ、その入り口の大ネオンはさぞかし人の目を引いたことでしょう。

昭和三十年ごろから渋川町地先に綾羽紡績が誘致され、隣の守山町に日窒アセテートが建設工事を進めるようになってから思わぬ糸ヘン景気が訪れました。

そして周辺の八号線工事の活発化と併せ糸ヘンの行員さんや建設工事関係者で新地は毎夜超満員でその相手の従業婦も五十人いたといいます。

さらに、国道一号線の横にあったので、トラックの深夜運転の運転手の運ちゃんの休憩場所となり、東は岐阜、西は大阪まで、多くの運転手が利用したということです。

そして遊びの費用が安いのも東新地の特徴でした。昭和三十三年の閉鎖ぎわの花代は正味一時間四百五十円、泊り千円で、大津柴屋町より時間で五十円、泊りで二百円安く、草津遊廓の安いのは昔から大津、京都でも知られていて汽車で行ってもその方が安上がりとされていました。

当時の大津の古老の話では「カエルの鳴声ききながら、遊興三まいにふけるのも案外田舎臭い情緒もまってオツなもの、生き馬の目をぬくというような都会とちがった気安さがあったもんだ。」

と、むかしの草津新地廓をなつかしむ声もきかれたといいます。

参照:滋賀日日新聞 昭和33年2月26日



by gionchoubu | 2018-06-24 12:08 | 亡くなった滋賀の遊郭 | Comments(0)