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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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草津東新地ぞめき その二

草津東新地ぞめき その二_f0347663_15300348.jpg
                       開盛楼

『宿場春秋 近江の国・草津宿史話』小林保夫 八杉淳著「宿場の飯盛女」の項を見ると、天保九年三月九日に草津宿助郷村方から出された願書(『膳所藩郡方日記』)で、近年草津宿で急増した飯盛女が助郷や商いの為に草津宿へ出る若者を誘うので村の風紀が乱れて困るから禁止して欲しいとの要望を出している様子が分かります。

さらに、「飯盛女所業取締方請書」にも、飯盛女の衣装が派手になり、所用で草津宿を訪れた若者を無理やり泊めてさらに酒食代を貪っているのにも拘わらず役人たちは見て見ぬふりをしているので、今後不届き物は召しとらえるという事が記されています。

結局奉行所は、この件にかんして、五月十九日に飯盛女を三十日間引き払う事を命じました。

同書には飯盛旅籠での遊興費(安政年間)も載っていました。

玉代(上玉)七百文、同(普玉)五百文
酒肴代(酒一本と肴一品)四百文
祝儀代(番頭・仲居へ)二百文

酒肴代と祝儀代をあわせると玉代と変わらないことが分かります。

明治になり、旧東海道五十三次にあった遊所は、自然消滅した所、そのまま残った所、そして東海道線の開業によりお客が寄り付かなくなったり、街道上に女郎屋があっては風紀上よろしく無いとの理由で移転した所に大別されます。

移転組として、神奈川宿は明治十七年、程ケ谷宿が明治三十三年、沼津宿が大正五年、江尻宿が大正末年、浜松宿は大正の末に街道沿いを離れました。

草津に於いて、町の東端の田圃をつぶして東(あづま)新地が誕生したのは明治三十三年とされ、旧草津街道に残っていた女郎屋が移りました。開業当初僅か三軒でのスタートだったと言います。

堀井吉之助にこの年「貸座敷免許鑑札」が下付されているのと、草津の新地が明治三十三年県税賦課規則で、四等地として税地等級の対象となっているのが根拠となります。

東新地の最盛期は、昭和57年の聞き取りによれば、第一次世界大戦の戦需景気による大正八年頃をピークとし、中央の広い道路を挟んだ両側に貸座敷が並び、

北側西より、角屋、煙草・菓子販売業、油屋、東楼、検場、中君楼、池田楼、山貞(やまて)楼、中村楼

南側西より、吉富楼、月の家、常盤楼、開盛楼、大富楼、すし屋、富士楼、松葉楼、寿楼、栄楼が軒を連ねました。

北側中央の検場(検番)には芸妓、娼妓を呼んで遊ぶ揚屋の組合、芸妓、娼妓を抱えている置屋の組合、料理組合が置かれていました。

ただし、草津町の東新地は揚屋(お茶屋)、娼妓や芸妓の置屋、そして仕出しを担当する料理屋の所謂三業が明確に分離しておらず、中村楼と大富楼のみが芸妓置屋であったといいます。

又、芸妓は新地内のみでなく、双葉館魚寅楼など他地区の宴席にも呼ばれるため、大正期に人力車五台をもつ車屋も存在しました。

参照;『草津市史 第三巻』、『艶本紀行 東海道五十三次』林美一著


草津東新地ぞめき その二_f0347663_15312749.jpg
                       双葉館魚寅楼


by gionchoubu | 2018-06-20 15:34 | 亡くなった滋賀の遊郭 | Comments(0)