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草津東新地ぞめき その一


草津東新地ぞめき その一_f0347663_12053999.jpg
                      草津宿本陣

『旅枕五十三次』に「駅中に札の辻あり、木曾街道のそれ道なり、此宿の遊女五百文、また四百文もある。ある説に云。此宿の下品のめしもりも近在貧賤のものゝ娘、あるいは下女、はしたの類、ひそかに此宿へ出て客をとり、小遣いとする故に下者多し。名物、うばが餅」とあります。

木曾街道は中山道のこと、大津宿とともに東海道と中山道を兼ねた草津宿は本陣、脇本陣とも二軒ずつあり、旅籠は文政二年(1819)百八十軒あったといいます。

さらにお伊勢参りのお客もほとんどここに一泊して賑わい、大名、小名、町人もここで旅装を解いたと言います。

「草津の買物は姥(うば)が餅とお女郎さん」と飯盛女も名物だったようです。『諸国遊所見立角力並に直値段』によれば草津の遊女の位は、前回紹介した近江八幡より劣るものの、水口宿、石部宿よりは上位にあります。

『草津市史第二巻』によると、飯盛女の横行に手を焼いた幕府は度々取り締まりをしました。ところが享保三年(1718)、幕府自ら課した負担ばかり多いい宿場経営維持の為に、やむなく旅籠屋一軒に飯盛女二人という名目で事実上遊女を認めたのです。

この間草津にどれくらいの遊女がいたか不明ですが、文化二(1805)年の「間之村休泊御差止方等請書」や同十一年の「飯売女取締方請書」で定の人数以外に飯盛女を置かない、いささかも華麗の義がないように取り締まるとの請書に草津の問屋・年寄が連印しているので、確実に草津に飯盛女の名の遊女がいたことになります。

さらに「膳所領郡方日記」によれば、文政九(1826)年二月草津宿宮町の靏屋文右衛門ら四名は“風儀宜しからざる下女共抱え置き、衣服等倹約ニ背キ候趣ニ付き~”罰金、手錠、宿払い等の処罰をされています・

同じ文政九年には六丁目の徳兵衛が下女に客を取らせ、法外の折檻を加えたために下女は自殺、これを届けず隠そうとしたので全財産没収の上追放の処分を受けました。

これは旅籠一軒につき飯盛女二人では到底需要に間に合わず、下女の名目で売女を置いたのを見せしめで取り締まったのだと考えられます。

天保九(1838)年の飯盛の数は六十人で、二十人を一組とし、取締人をひとりずつ置いていました。

そして同年幕府の令で飯盛女自体が禁止、しかし草津宿では請願により同十三年に給仕女を置く事が許されました。この給仕女は三味線・太鼓・酒の相手、歌舞、売春行為は決してなさぬ事。衣服、帯、襟、袖、下駄、草履まで全て木綿製にする事、櫛や髪飾り、笄に鼈甲や金銀を用いない事、蛇の目傘やもみじ傘を用いない事などが申し渡されました。

つまり天保九年以前の草津の飯盛女は衣服、帯、襟、袖に木綿を使わず、櫛や髪飾り、笄に鼈甲や金銀を用い、酒の相手をしながら歌舞、三味線、太鼓で旅人ををもてなし、春を売っていたことになるのです。

草津東新地ぞめき その一_f0347663_12060156.jpg

                 東海道と中山道を兼ねていた草津宿


by gionchoubu | 2018-06-11 12:09 | 亡くなった滋賀の遊郭 | Comments(0)