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by gionchoubu
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近江八幡 池田町遊郭ぞめき三
八幡堀に近い池田一丁目、二丁目、元玉屋の三町を合わせて「西町」とよばれていた八幡町の遊郭は明治六年二月県下の他の遊郭とあわせ納める税金で以下の様に等級分けされました。
上等=大津四ノ宮町、真町 賦金一カ月金二円
中等=八幡池田町、彦根袋町、長浜南片町 同二円五銭
下等=大津甚七町、神崎郡八日市村 同一円
西町と呼ばれた頃の客筋は八幡近在の大商人や地主連中が主で、悠長究めたお大尽遊びをし、茶屋に十日も二十日も遊び続け毎日ドンチャン騒ぎをし、芸者は三味線の糸が切れるまで、撥が折れるまで演奏し続け芸妓の方が音をあげたという話もありました。
『滋賀県八日市市八日市新地遊廓』によれば、貸座敷の数は明治16年14軒、明治41年12軒、大正元年13軒とほぼ横ばいできましたが昭和元年32軒と急激に増えております。
昭和5年発行『全国遊郭案内』によれば、貸座敷10軒程で娼妓は三十人程、遊興制度としては陰店式の通し花制で廻しはとらず、一時間遊びが一円位、一泊すると四、五円で、これは同書による八日市延命新地の一時間一円五十銭、泊り六、七円見当に比べお安めです。
公的な資料である『公娼と私娼』、昭和五年六月末では貸座敷15軒に対し娼妓十三人ですので、『滋賀県八日市市新地遊廓』の数字とはずい分違うのが悩ましいところです。(貸座敷には芸妓置屋と御茶屋が含まれているのが普通です)
又、『滋賀日日新聞』の昭和33年2月22日の「消えゆく赤線地帯」の「近江八幡池田町」では昭和のはじめに池田町一丁目の山春、花月、池田町二丁目の京春、政乃屋、元玉屋町の鍵時、月歌など32軒の業者に芸妓三十五人、娼妓六十人、これまたずい分違う数字がでており、どれを信じたらよいのか分かりません。
さて、昭和になって元玉屋町の京都座が焼けると、軍国主義の台頭と併せ、八幡堀の水が枯れ舟運が途絶えたことで茶屋の転業、廃業が続出、赤線直前の長楽園(元池田町遊郭)組合の業者は八軒、従業婦三十名にまで落ち込みました。
従業婦を呼ぶに時間(正味五十分)三百六十円、泊り九百円でした。
そして最後まで営業を続けた池田町二丁目の“きんたか”も昭和三十三年2月26日廃業届けを近江警察署に提出、同時に料理屋に転業手続きを行い“名月荘”として新しい門出を迎えました。
かつての従業婦も昨年末から帰郷したり結婚したりで最後は帰郷前に主人夫婦を手伝い開業に備えました。
夜ともなれば、しゃれたスタイルで客足をのばすトリスバー“銀竜”が目に付くだけの町になりました。池田二丁目の検番跡にオープンしたのが銀竜でした。
何れにせよ池田町遊廓の最後は、江戸期に練り物まで出した繁栄に比べると、滋賀の遊郭、赤線の終焉のなかでも特に淋しく感じます
京都で言えば三本木の幾松や祇園の君尾など、幕末史を飾った女性はもてはやされ、市民の自慢ともいえるのに、八幡市史編集部側は何をためらっているのでしょう。
花街、遊郭側は過去莫大な税金を納めており、それは八幡町、八幡市の当時の全税収の三分の一ぐらいだったと考えられるので、今こそ市側も保存に動くべきだと思うのですが・・・
京都新聞 滋賀本社 東北部総局の花街担当記者もしくは教育委員会に一度相談されたらどうでしょうか?
私も明後日、朝日新聞の花街担当の記者さんとお話ししますので、ちょっと投げかけてみます。