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近江八幡 池田町遊郭ぞめき二

f0347663_12145921.jpg
茶屋の中池田町二丁目にあった大高楼は最も有名で、構造建築最も壮大に設備よく、大玄関は駕籠乗馬のまま通じ、裏には馬のつなぎの用意も有り、創建は元禄時代にあったとされ、皆川棋園はかつてここで「名月」の題字を掲げ、頼山陽は「紅紫相映」の雅号を大書し、さらに儒者であり画家でもあった粋人の梁川星巖も書や画そして星巖ノ間と称した離れ座敷を残しました。

この星巖ノ間などは床が高く、カクレ場所や抜け道がありまるでカラクリ屋敷、ここが後年倒幕のアジトに使われたと言い伝えられました。幕末多事の際、本町には西川吉輔の志市を出し、多数の策士が往来し秘密の計略がこの地でなされたとも伝えられています。

大高楼は明治にはいり女将の死亡と共に同町の京初楼として継がれ、京春時代を経て金鷹楼として営業したとの事ですがネットでは会えませんでした。

その他池田二丁目には大高と併称された大栄楼という大店もあったと伝えられています。

池田町遊廓がいかに財力を持ち繁栄していたかを知らしめたか・・・それは天保十一年三月二十五日、妓女による練り物が催された事が如実に物語ります。古今東西花街の妓女よる練り物が行われたのは現在特定できるものとしては京都の祗園、島原、上七軒、大阪の新町、島之内、曽根崎新地と超の着く一流所、関東では東京の一、二箇所だけで、八幡町池田町は一時歴史上これらの花柳界と肩を並べたのです。

これは宮の馬場拡張祝賀の為催されたもので、絵番付けの原版が八幡神社にあり、刷物は町内の旧家にも散見するそうです。

大高(鶴尾、千さと、とみ松、政菊、春の、栄鶴、たけ)

大栄(鶴の、重鶴、今江、しげ葉、富栄、君栄、松栄、市松、千代の、菊葉)

鍵久(千世治、若治、きく葉、みつ葉、いは葉、千代松、きみの、千代治)

京防(てるは、八十栄、しげの、房松、うた松)

京屋(照葉、留松、歌松、しげの)

左が置屋( )内が妓女という事でしょう。

さらに徳川末期には金田、近江屋、京吉、玉三、梅本等の名の記録もあるそうです。

幕末維新頃の俚謡に「酒は但馬屋、醤油は鵜川、女郎は大高若松サン」ありました。大高の若松は名妓として聞こえ、もとは五条坂の路上生活者の女であったということです。

参照:滋賀県 八幡町史・中



by gionchoubu | 2018-06-03 12:17 | 亡くなった滋賀の遊郭 | Comments(3)
Commented by こうざん at 2019-07-17 00:24 x
gionchoubu様
貴ブログ拝見し、花街についていろいろ教えていただき有難うございます。いくつかコメントさせていただきましたが改めて、近江八幡池田町二丁目に生まれた私の紹介をさせていただきます。
昭和二十一年生まれ、定年までパリダカールラリーの4輪、2輪メーカーサポートや途上国支援ワークショップで海外生活をする中で、平成6年住宅火災で築300年延べ100坪の建物とともに家財道具は全部消失したが花街遺品の一部であるが、どなたかが持ち出され燃失を逃れた。幸いにも、八幡花街一番の大茶屋「大高楼」の遺品を当家が保管していたことで、、貴ブログ、」「近江八幡 池田町遊郭 2 」に書かれている関連書画など、幕末から昭和初めの花街が繁盛していたころの、古写真、調度品、建物図面、来遊者の書画なども一部残った。この時、生まれた花街の昔風景が頭から離れず、十数年前から幕末以降の八幡花街について町内古老に聞き取りをはじめ、又、花街関連の古写真収集も行ってまいりました。八幡町史に書かれているように、花街の世界書いたもので残すことはなく、芸をはじめ、見て聞いてまねごとをして、お客のこと、宴席のこと、頭と胸の内にそのばでしまい込む世界と元芸者の古老から聞いた。幕末明治維新から百数十年、聞き取りは困難を極め、明治の画像は大変貴重なもので一般の人はまずない時代で収集もむつかしかったが、芸者上がりの古老などから貴重な話を聞き書き残してきたが明治大正生まれの古老はほぼ皆無となり、昭和初め生まれも、90歳を迎え明治大正昭和の初めの話を聞くことはほとんど不可能となった。この十数年の花街の聞き取りは、元茶屋、元芸者、元芝居小屋、元町内の商店など多くのことが分かり、日本の花街史の一断片として残したいものです。日本の花街をしょう妓の街ととらえることが多いが、私は政治、文化の源とした文化人、商人、政客のサロンが茶屋であり花街であったと信じている。特に「京初楼(旧大高楼)」女将遺品の中に、八幡花街の芸舞妓の古写真とともに京都島原太夫、京都祇園芸舞妓、東京浅草舞妓と思われる古写真が残っており、明治の八幡花街が日本の大花街とつながっていたと思われる。
これからも花街情報よろしくお願いします。合掌
Commented at 2019-07-17 11:18
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by gionchoubu at 2019-07-18 17:59
> こうざんさん

コメント拝見しました。私も同意見で花街は日本の文化、芸術、芸能、政治を育む栄養源のような物だと考えています。花街側とそれを育む旦那衆がお互いを高め、次元の高い遊びをもたらしました。伊藤博文などんもこの粋も甘いも密を吸って政治対局に臨みました。花街で遊べるから頑張れる・・・みたいな所があったはずです。

花街は税金の優等生で芸妓は重税に苦しみました。遊郭にはなりますが、京都府橋本遊郭が無くなったとき、橋本を抱える八幡市(偶然同じ八幡です)の税収の三分の一が無くなりました。

近江八幡市はプライドをもって八幡市の遺産といえる池田町花街も残照を後世に伝える義務があると私は思います。

私自身非力なブロガーですが、もしお手伝いできることがあればご相談ください。