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水口遊郭ぞめき 赤線

水口遊郭ぞめき 赤線_f0347663_10484714.jpg
全国を駆け巡る“花街ノスタルジア”さんのサイトによればこの辺りが水口検番跡

内務省警保局が編纂した『公娼と私娼』によると、昭和五年の甲賀郡水口町に営業者数十五軒、娼妓十人となっています。この営業者数は貸座敷のことで、これは娼妓置屋、妓楼、芸者置屋、お茶屋、これらの兼業者を総計したもので、娼妓数より貸座敷が多いのはこの数字に表れない芸妓が多かった事を示唆しています。

同じく昭和五年発行の『全国遊廓案内』で「水口遊廓は滋賀県水口町にあって関西本線柘植から草津線に乗車、更に岐阜川駅で近江鉄道に乗って水口駅へ下車する。妓楼、其他詳細な事は判明していない」が全文で実にそっけないものでした。

同署他の滋賀県の遊廓の遊興制から察して、娼妓は廻しをとらない大阪方式で、又遊客が娼妓を選ぶのは写真でなく、実際妓楼内で対面して女を選ぶ陰店を張っていたのは間違いない所だと思います。

昭和のころになると打寄せた不況の波と、戦時体制への移り変わりでだんだんと衰微の道を辿り、戦争末期には大部分が転廃業を余儀なくされました。

戦後は赤線の名で業者の数も十二・三軒までもどしたものも売春防止法の発行で水口石倉新地も法の前に終止符を打つことになったのです。

廓は平和、なると、一富士、立花、大正、若松の六軒で九人の従業婦が最後の稼ぎをやっていましたが昭和三十三年二月二十八日にその幕を閉じました。

二十七日夜から二十八日にかけては名残を惜しむ遊客で平日なのに紋日なみの賑わいを見せ、三月一日午後から同町魚庄で解散式をあげ元従業員は各楼主から一人当たり五千円~一万円の餞別が渡され、その後は帰郷、旅館勤め、女中とそれぞれ新しい門出につきました。

業者の方も旅館三軒、下宿二軒、飲食一軒の転業希望を県に申し出でているものの、三月中にハイヤー、質屋、マージャン屋などへの転業をも考えていました。

県では水口石倉新地の開放は業者と従業員が少ないため案外問題ないとみていたようです。

『艶本紀行東海道五十三次』の著者、林美一が石倉新地が解散した四年後の昭和二十七年に訪れたとき、建物が手入れされていない為、薄汚い一郭になっており、中には一階が物置みたいになっている家さえあり、

「赤線のあとは、どこへ行っても栄華盛衰のあとをまざまざと見せつけられるものだが、ここは特にわびしい思いがした。」と述べました。


by gionchoubu | 2018-05-22 11:01 | 亡くなった滋賀の遊郭 | Comments(0)