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水口遊郭ぞめき 華の作坂

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                     高札の辺りが“華の作坂”町

水口宿でも作坂町を中心に、旅籠町、湯屋町、本町一帯は“華の作坂”と呼ばれ、旅人達が遊女と絃歌さざめき戯れて、朝ともなれば一夜の契りで別れを惜しむ旅人と遊女で、当時水量が多かった野洲川べりの屋型船にあでやかな彩りを添えたといいます。

明治の初めまで酒席でよく唄われたものに“京屋のおよしは馬より強い、諸国大名みなのせる”というものがあり、これは寛政年間(1798~1801)水口の京屋という旅籠屋にいた、よしという名の美人で評判の飯盛のことを唄ったものだといいます。

『諸国遊所見立値段附』には、あふみ水口四百文とあります。これを他の五十三次の宿場女郎の値段とくらべると、浜松、六百文、吉田、四日市、岡崎七匁、
小田原十匁、宮十匁より、白須賀、掛川、亀山、見附、五百文などと比べると、石部、藤枝と並び水口四百文はすこしお安めといったところです。

安政年間(1854~59)になると国事多難の折から水口で宿泊する旅人は最も多く旅籠は繁昌を究め、一戸五人の遊女では足らず、女中などの名目で女を置きました。

幕末の水口藩と京都の島原との話題を二つ、

島原輪違屋で、青年時代の伊藤博文となじみをかさね、和歌・書道にすぐれた作品を残し、安政二(1855)に発刊された宮古現存和歌者流梅桜三十六家選、木版の一枚刷りにも紹介された桜木太夫。

この桜木太夫を見受けした京都奉行同心森孫六が安政の大獄で勤皇の志士を捕らえたのが恨まれ、文久二(1862)年九月二十三日、土佐・長州・薩摩の暗殺団に石部宿で大河原十蔵、上田助之丞、渡辺金三郎と共に殺され、森、渡辺、大河原の首が京都粟田口の刑場に竹につるされてさらし者にされました。

もう一つは以前このブログで紹介させていただいた逸話です。

文久三年(1863)近江の水口藩の公用方が会津藩の公用方に、新撰組の乱暴狼藉は目に余る、という様な話をしました。これを受け新撰組の上部にいる会津藩は、新撰組に注意をいれました。

これを聞いた新撰組局長の芹沢鴨は部下を水口藩に向かわせ、その公用方を引き渡せ、とねじ込みます。水口藩邸では詫び状を入れることでその場を収めました。

しかし、その場しのぎの詫び状の件が水口藩主に知られると首が飛ぶと水口藩士は思い直し、間に人をたてて、詫び状を戻してくれと芹沢に頼みました。

そして水口藩は島原の角屋に芹沢らを招待して手打ちの席を設けました。総勢100人を超える規模、島原の芸妓まさに総揚げの大宴会です。

この席で、最初は機嫌よく楽しんでいた芹沢ですが、飲む程に酒乱の悪癖が顔をだし、角屋の仲居が自分を避けているのを感じ、普段からの角屋側の自分への扱いに対する不満が爆発したものと見えて、部屋に飾ってあった太鼓を二階から投げ落とし、「尽忠報国」と書かれたいつも持ち歩く鉄扇で飾り壺は叩き潰す、さらには階段の飾り欄干を引き抜き、開下で振り回し、帳場から台所まで悪鬼の如く手当たり次第壊しまわり、最後に角屋徳右衛門に七日間の店じまいを申しつけました。

水口藩士も幕末の一幕“芹沢鴨 島原角屋での乱暴狼藉の場”で脇役として登場したことになるのです。

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水口宿の入り口三筋町の真ん中の道が東海道
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       湯屋町         

by gionchoubu | 2018-05-16 10:53 | 亡くなった滋賀の遊郭 | Comments(0)