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水口遊郭ぞめき 宿場女郎

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   水口宿

渡辺寛は『全国女性街ガイド』の貴生川の欄に「国宝的な草葺きの女郎屋が六軒建っていて、女たちも古典的存在。草津線で草津から三十五分のちか間にあるのに、お訪(おと)なうものは風ばかり。」の一文に誘われて以前貴生川を歩いたもののそんな雰囲気は微塵もありませんし記録も一切残りません。

思うにこれは貴生川町を含むその先の水口町の石倉新地を指していたものと思います。

水口の遊里は明治に誕生したこの高倉新地とその前身にあたる江戸時代に東海道五十三次の一宿であった水口宿の宿場町の遊里の時代がありました。

愛知の岡崎宿や吉田宿などと同じように、水口の遊里は城下町型と宿場型の二面をもつ複合色里でした。つまり遊客は街道の通行者以外に城下に住む侍、町人達もなじみとなっていたと考えられます。

『東海道名所記』に宿場女郎が旅人の胸倉を捕らえ無理に家に引き込み

「これはいかに、まづ物を言わせよ」

と旅人を有無を言わせず捕らえる様子が書かれているそうだし、

淫水亭開好という物騒な名の人が書いた『東街道五十三次』の水口に

「此宿にやどりをもとめ翌日は早都入りにて道中のおじゃれも今夜かぎりと、めしもり二人呼て大洒落にしゃれ、其夜は主従とも陰茎骨かぎり犯のめし、足も腰も口も陰茎もはっつり草臥打伏(くたびれうちふし)けり。」

と、明日は京都に入るので、羽目を外すのもこれが最後と、これまた物凄い事がかかれているそうです。

年代的に遊女関係を中心に水口宿の歴史を見ていくと、

慶長六(1601)年東海道に宿駅宿次制がとられ、水口宿は本宿ときまる。

やがて飯盛女の名で遊女が跋扈したらしく

寛文九(1669)年の代官、猪飼次郎兵衛条々には「一、遊女一切抱置候間鋪事、」という一項がはいります。

その後また次第に飯盛女は盛んになったので。

明和九(1772)年三月再び藩主加籐氏から町奉行の手で禁止されました。

十年後の天明二(1782)年旅籠屋から「宿場維持の為相当の冥加金を納入するから飯盛女を置かせてくれ」と嘆願するとこれが認められ一戸あたり五人の遊女(飯盛女)が認められました。

幕府令では一戸あたり二人なので、ずい分思い切った政策といえるでしょう。

ただしそれ以後藩士が旅籠屋へ出かけて遊興することは厳禁されました。

参照:艶本紀行 東海道五十三次 林美一著






by gionchoubu | 2018-05-14 12:36 | 亡くなった滋賀の遊郭 | Comments(0)