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八日市延命新地ぞめき 廃業届

八日市延命新地ぞめき 廃業届_f0347663_11483165.jpg
第二次世界大戦後、八日市の新地も再開され、間も無く貸席二十一軒で芸妓七人、娼妓二十人になりました。

昭和二十年の十月には、八日市飛行機の残存軍用機の処理で米兵七、八十人が乗り込んできた時新地では料理屋、飲食店も休業中でしたがやむなく開業、このために県の警察本部から特製の布団の配給、八幡の税務署からビールの特配を受け、昭和二十一年の正月から日本人相手の通常営業まで、上記の連合軍兵士と能都川にいた元白人兵捕虜が遊客となりました。

その後延命新地は貸席業として営業、そして娼妓は接客婦となり所謂赤線となりました。接客婦は一応芸妓として登録され二枚鑑札として客の求めに応じました。

昭和三十三年の売防法完全施行直前に貸席二十一軒、女の登録二十三人、ただ実際に客席に出ているのは毎日十五、六人でした。花代は一時間四百円、泊りが千円、連日大変賑わいました。

明治・大正のころ延命新地のお客は五個荘のお客が多く、近江商人独特の勘定高い遊び手が多く、豪遊したような粋人の話も伝わりません。郭の生え抜きの話によると「たまさか情死ざたなどがあったとしても全くつまらぬ出来事からで気の利いた物語はありません」とつれない。

だから女も男に身受けされて出たという例は少なく、年期一杯つとめて借金を返済し郭を去っていきました。

さらに八日市の新地の特徴として、置屋の親方が大ていお抱えの妓たちを家族なみに扱って、そのため借財を負った妓で、二、三年のうちに借金抜きができ他の都市に移っていくか、又男のために借金をして元の家に戻ってくるのも多かったようです。

これは八日市の土地柄がそうさせるのかもしれない、とのことでした。

昭和三十三年三月一日の日日新聞

「八日市 延命新地では二十八日午前十一時貸席組合員二十一名が一斉に廃業届を八日市署に出した。

このうち完全廃業するのは朝日屋と千成の二軒、また芸妓置屋を営もうとするもの浜屋と清定、料理屋店営業準備のもの角笑、千代幸、吉勝、角菱、すし宇、大正楼、花の家、相生、入船、若松の十軒。

旅館営業準備中は魚善、清里、浅常、万遊楼、いろは、五月楼、新角笑の七軒である。

従業婦は全部で二十人で、前からの芸妓三人はそのまま残り、結婚生活に入るもの一人、その他結婚を希望しているもの七、八人あるが、いずれもまだはっきりせず、中には新地以外の場所で仲居をするものもあるが、大半は帰郷する。

最終の二十七日、二十八日も一般商店街はほとんど店を閉じた午後十時以後、新地ばかりは明るく灯が輝き、人の往来もちらほらながら絶え間なく、たまたま和服のショールの女、赤色の和装トッパーの女などが貸席に出入りするのが眼につく。」






by gionchoubu | 2018-05-01 11:48 | 亡くなった滋賀の遊郭 | Comments(0)