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by gionchoubu

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八日市延命新地ぞめき 招福楼

八日市延命新地ぞめき 招福楼_f0347663_12153602.jpg
           超が付くほど敷居の高い招福楼

明治末期から大正初期ごろの延命新地の名妓として招福楼の春吉、小舟、鶴菊などが有名で後春吉を襲名した舞妓の?(字が潰れています)子などは売れっ子で、その後もつぎつぎと妹芸妓が襲名し、何れも名妓だったと言います。

招福楼と清泉楼(湊屋ともいった)はその頃の八日市花柳界の二大勢力でともに全盛時代を争いあいました。

延命新地の廓内の路地は通称「アカミチ」と呼ばれ、特に廓に入る表のアカミチは後代参街道の市道(商店街)から入るのが表道で、ここには小椋庄の代官屋敷から移築した黒塗りの大門はクロモンと言われ、この門を潜りぬけると招福楼の黒塀があって、廓の家並みの紅柄格子道に続き、黒塀の中に入ると招福楼の正面玄関になりました。

現在はこのアカミチも黒塀もクロモンも有りません。

飛行機のあった時代には五月楼のすみ子、里丸などは八日市小唄をレコードに吹き込み、また豆千代のレコードもありました。

新地の黄金時代は満州事変の起こった後で昭和八年頃まで続きました。

昭和五年刊『全国遊廓案内』日本遊覧社によると八日市延命新地に揚屋が四十一軒あり、娼妓五十人に芸妓が五十五人、で陰店を張っていました。この時期日本の遊郭はほぼ写真で娼妓を選んでいましたが、滋賀は彦根も八幡町、草津、大津、長浜とも屋内で実際娼妓を見て敵女を選べたのは県として、遊郭に対しそれほど厳しい態度を取っていなかった事が読み取れます。

また娼妓は送り込み制で遊興は時間制で廻しは関西方式で取りません。一時間が一円五十銭、同書では娼妓に対し芸妓の数が多いいのは商業上に花柳界の利用される率が多いいのに加え芸妓の花代が一時間七十銭と娼妓の半分以下と法外に安いのを挙げています。

『八日市史 第四巻 近現代』によると新地の全盛期は航空隊華やかなりし頃で、当時県下ではここだけが朝から営業し、県下一の売り上げを誇り、午前中は兵隊、午後は下士官、夜は将校・憲兵という決まりがあり、それ以外の遊客は蒲生郡、愛知郡が多く、女は西日本、取り分け九州の女が多かったといいます。

戦争が次第に進むにつれ、遊郭も不景気になり、昭和十四、五年からの企業整備のためもあり、戦争末期の昭和十年から二十年にかけて貸座敷は十四軒に減り、芸妓は一人、娼妓は三人になりました。

戦時中は廓の女たちも、戦争遂行に協力する意味で、近江絹糸で製造していたヘヤー・ネットのゴム糸通しを熱心にしました。ヘヤー・ネットとはもんぺ姿で髪の毛がほつれぬように網でおさえて、生産増強に努める婦人たちが使用したものです。

参照:滋賀日日新聞昭和33年2月21日『消えゆく赤線地帯(12)』
八日市延命新地ぞめき 招福楼_f0347663_12151532.jpg

by gionchoubu | 2018-04-29 12:19 | 亡くなった滋賀の遊郭 | Comments(0)