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by gionchoubu
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彦根 袋町遊廓ぞめき 料亭小島
明治の末期から大正初期ころの袋町遊郭の様子は店仕舞は、午前一時。ただ十二時と一時になると検番の男衆が太鼓を鳴らして廓の中を練って歩きました。
十二時にはドン、ドンと一ツずつ鳴らして歩いたが、これを聴いたお茶引女は一番号が鳴ったときさみしい顔をしました。そして一時には二ツずつで店をしめたそうです。
大正九年ごろからの不景気を境に次第にさびれ、昭和四年の末、業者六十九人、娼妓八十三人、雇人九十三人になってしまいました。(滋賀日日新聞)
昭和五年刊『全国遊廓案内』によると貸座敷は六十五軒あって、娼妓は約八十五人、福岡、佐賀、埼玉の女が多く、店は陰店、娼妓は送り込みが多く、居稼ぎは極少数。遊興は時間制、又は仕切花制、費用は一時間遊びが一円十銭、宵からの一泊は四、五円で代の物は付きませんでした。
妓楼は
中村楼、富士房、桔梗屋、清瀧楼、瀧柳、上田楼、重の屋、大宇野、中鶴楼、大朝楼、萬笑、春富、丸花楼、萬屋、萬栄、丸矢、日の出、辻春、角屋、花国楼、丸久、川岸、川瀧、京鹿、泉楼、若浅、新盛、一富士、伊吹楼、正歌、吉花、小川楼、若狭や、正春、佐文、北村屋、正木屋、清仲楼、山田屋、丸々楼、萬歌、清捨、八千代、吉兼、矢の春、角田屋、高橋楼、梅月、大琴、朝日楼、川衣、吉瀧、丸琴、中花、川崎屋、吉鶴楼、萬冶、千歳楼、皆遊、金亀楼、川常、川與、花梅、川巻、花の屋、等
昭和33年2月26日の滋賀日日新聞は売春防止法完全施行をほぼ一月に控えた袋遊廓の様子を伝えています。
「いまの袋町には芸妓が十八人、接客婦は五十一人いるが、今月一ぱいで芸妓を残す五十一人は姿を消す。
彼女たちの身のふり方は五十一人のうち四十一人までが帰郷、芸妓七人、旅館女中一人、結婚その他二人といるが、再びこんな売春生活にもどらなくてもよいはっきりとした更正の手がうたれることが望ましい。
四十軒業者の転業はお茶屋(貸席業)一軒、旅館二十二軒、料理屋十六軒、下宿一軒となっている。
しかし袋町の遊郭解体が県下で最も困難ではないかともみられている。
その袋町遊郭の中心街から派なれていることで、いまの場所で旅館、料理、貸席などをやっても客の誘致ができるかどうかというのだ。
地元では都市計画による健全歓楽地帯をつくりたいのが希望のようだ。」
中村遊郭でも見てきた通り、これらの転業された業者さんはいずれ売春制度は復活される期待を持ち、とりあえず他業種で身をやつし、好機を待っていたものと思われます。需要が見込めない地で二十二軒の旅館が突然出現しても、ほとんど客はなかったはずです。
* 『滋賀県八日市市 八日市新地遊郭』三露俊男著の彦根袋町の所で
明治44年 貸座敷13軒 娼妓―人
明治16年 貸座敷59軒 娼妓38人
明治41年 貸座敷53軒 娼妓―人
明治42年 貸座敷55軒 娼妓―人
明治43年 貸座敷57軒 娼妓―人
明治44年 貸座敷58軒 娼妓―人
大正 3年 貸座敷 ―軒 娼妓―人
昭和 元年 貸座敷71軒 娼妓―人(芸妓127人)
がありますが、最初に明治44年が書かれているのはミスプリントだと思いますので、いずれ出典を確認、書き換えた後本文に入れるつもりです。
by gionchoubu
| 2018-04-12 12:43
| 亡くなった滋賀の遊郭
|
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