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彦根 袋町遊廓ぞめき 萬屋(よろずや)

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                   萬屋さんの見事なうだつ

滋賀県下で一番早く女紅場が出来たのは彦根の袋町で明治十年二月、教師二人、生徒百二十五人で始まり、習字・作文や裁縫などを廓の女に教えました。この年娼妓一人を抱えるに金十円、年期は三円と決められ、線香が六本から七本の燃える時間を一時間としました。(『袋町提出資料』)

明治十四年十一月一日付けの『江越日報』によると、当時の袋町遊郭には芸妓三十一名、芸妓三十一名、舞妓十八名、芸娼妓二十四名(所謂二枚鑑札の妓と思われる)娼妓三十四名、合計百七名の女性の出稼ぎがあったといいます。

同年九月袋町の貸座敷業者たちは、当時日本基督教婦人矯風会と日本救世軍という二つのキリスト教団体の活動により娼妓の自由廃業運動が日本中で盛んになったのを受け、

一、 救世軍が来た祭には粗暴過激な対応をしないで相応の対応をするが、不当なばあいは全力で排斥すること。

二、 娼妓への待遇を篤くし、過酷な扱いをする業者には規約に即して厳しい処罰を課すこと。

三、 娼妓の外出はできるだけ自由にして拘束しないこと。

ところが明治三十三年十月娼妓取締規則が発令されると、貸席業者へは一定の規則を行うことと同時に、娼妓は庁府県令で指定した地域に居住できず、外出に際しても所轄警察の許可が必要となり、実際同年の十二月に無断外出した二十二歳の娼妓が彦根区裁判所の判決により十二日間の重禁固に処せられたり、無断で客と伊勢参拝をしたとして二十二歳の娼妓が五円の罰金を課せられました。

明治三十七年六月二十二日袋町一円を貸座敷免許地に指定

明治、大正の袋町の様子は、昭和三十三年二月二十八日『滋賀日日新聞』の特集で廓の娘として生れた川崎千賀さんの話がリアルに浮かびあがらせてくれます。

「明治三十年ごろ、まだ電灯もなく広い台所と廊下はランプ、座敷はロウソクで、客室は行灯。

ろうそくのことを“しろさん”と呼んでいたが、当時こんな歌を歌ったものです―二銭まけとき気は心・・・二時間三十二銭。

そのころは、あの狭い通りの人力車が芸妓衆とお客を乗せて通ったたもので、大正になったころも芸妓に三味線をひかせて廓中を小唄などで流して歩いた客も珍しくありませんでした。」

参照:上記記載の資料以外に『彦根市史 中冊』

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                      うだつが上がらないの語源です。
                      関西では珍しいので近所の方も自慢されていました。
f0347663_14480030.jpg
                         右端部分
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                         全景



by gionchoubu | 2018-04-08 14:50 | 亡くなった滋賀の遊郭 | Comments(1)
Commented at 2019-06-07 16:40 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。