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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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中村遊郭ぞめき 旭連

中村遊郭ぞめき 旭連_f0347663_11511408.jpg
  貸座敷の中に坪庭がある中村遊郭独特の構造

中村遊郭に“廻し制度”がなかった事に関する逸話を『聞書き 遊廓成駒屋』より紹介させて頂きます。

関東大震災のとき、吉原を焼け出された女郎が中村に流れてきて遊郭に吸収されました。

吉原の太鼓もちも四人ばかりやってきたものの、名古屋には廻しであぶれた客が出ないのでそもそも太鼓もちの需要がないという事になり帰した、とあります。

同じく廻し制度のない関西では太鼓もち(幇間)は芸妓の補佐としての役割がつよいのですが、東京の太鼓持ちには宴席に出るだけでなく、遊郭で部屋に上がったものの女が来ないので時間をもてあました客のため太鼓もちが送り込まれたという事になります。

さて、昭和八年四月号の『郷土風景』によると、中村遊郭は全国一の代遊郭で規模の広大な点では他の追従を許さない。移転当時各戸が争って普請に金をかけたので東京や大阪に見るこせこせしたインチキ建築とは比べ物にならない。

内部の間取りもゆったり出来ていて落ち着いて遊ぶ事が出来る。中村は遊興費が高い事も日本一だと云われるが娼妓の前借金に金をかけ、美人を揃えてゆっくり遊べる点で文句が云えない。

娼妓の現在数が千五、六百人いて妓楼が百四十軒余り、娼妓は主に関東者で約六割、関西者の二割他は全国から集まった程の美人揃い。長唄や清元が盛んで土地の西川流の舞踊も心得て居り、下手な市中の芸者も近づけない気品をもっていたとのこと。

これは即ち他の一流芸妓が何らかの理由で芸妓を辞め、中村遊郭に来て娼妓をやっている事を示唆しています。

昭和四年刊『全国花街めぐり』によれば、名古屋市には当時「五連妓」と称す盛栄連、浪越(なっこし)連、中券、廓連、睦連の五花街があり東京で言えば新橋、柳橋といった一流所、広小路を挟んで市街の中央部を占めていました。

これに続いたのが浅遊連、善遊喜(みゆき)連、美波連、熱田連、和合連、吾妻連、八幡連そして中村遊郭の芸妓で構成された旭連でこれら八連妓を加え、先の五連とあわせ十三連妓と呼ばれていました。

さらに場末の蝶遊連、枇杷島連、築地連、南連を合せると十七連妓になり、名古屋市には十七花街があったことになります。ちなみに廓連が中村と思い込みそうですが、中村遊郭移転前の地区にあったことから起こった名で、新地連とも呼ばれました。






by gionchoubu | 2018-03-14 12:02 | Comments(0)