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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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京都パンパン赤線時代 四十四

京都パンパン赤線時代 四十四_f0347663_11572270.jpg
松本佐多のお茶屋杏花。佐多没後親族の方がお茶屋を継ぎました。さらにその後は舞妓変身処になりましたが、現在空き家のようです。ちなみに杏花は左団次の号にちなんだもの。なにぶん芸に対して厳しい人でしたので、芸舞妓は声を潜め、恐る恐る通り過ぎたとの事・・・


昭和27年1月31日 京都新聞

『名優左団次をしのぶ 杏花思い出話』

名優左団次逝いて十三年、南座如月の舞台にその追善の幕が開く。明治、大正、昭和の三代にわたって歌舞伎界の革新児として新劇に純歌舞伎に活躍した丈の面影をしのびながら故人とゆかりの深い祗園の松本さださんと劇評家三周太郎氏にその芸と人について語ってもらった「杏花思い出話」を夕べの読物として送ろう。

『京舞にポンと八千円 不評判から評判へのし上がった人』

三宅 高島屋の追善を前にこうしてあなたと向かい会いますと、まず第一番に思い出されるのは、あなたが東京三越で井上流の舞の会をやられたことがありましたね。

松本 昭和九年どすな。先生、笹川臨風さんに頼まれまして東京で初めて京舞を舞いましたが、おかげさんでえらいにぎやかどした。

三宅 そうでしたよ。大へんな盛会で招待をうけて行った私が、席がなくて立見したという有様でした。あれはなんでしたかね。ツマをこうとったあなたのポーズが残んの色香をにおわせてすばらしかったのが印象にのこっていますが

松本 「菊の露」の“庭の小菊の・・・・”というところどっしゃろ。それと「葵の上」とが秋ですので出ました。あの時はうちの高橋さん(左団次)がほんまに何から何までようしてくれはりました。なんでも八千円から使わはったということです。

三宅 それは大変だ。当時の八千円といったら今じゃ千万円の値打ちですよ。えらいものでしたね。あなたがはじめて左団次におあいになりましたのは?

松本 高橋さんの二十六の時どした。まだ延升で京都の明治座へかかっていた時に、川上音二郎さんの紹介で中村楼でおおたのがはじめてどす。その時分はパッとしませんどした。東京歌舞伎座でも見物が「次なんや、あの左団次の演じ物か、まま食べてこ」というて席を立つ人が多かったのが、ちょっとの間に人気が出てきて“高島屋!”と声がかかり羽左衛門が機げんをそこねはったという事でした。

『稲荷さんが好き 礼儀正しかった』

三宅 この辺で人間高島屋のおもかげを語ってもらいましょうか。

松本 ちょっと変った人どしたえ。唐桟や紺がすりの着物に小倉のハカマでリキュウはいて、よう来やはりました。伏見のお稲荷さんが好きで暇さえあれば参けいし、その帰り途には必ずよって行かれました。若王子の滝が好きで一しょによう行きましたし、晩は京極へ遊びに行ったりして・・・・。プラチナの腕時計をはじめてしてはったのを部屋でこの腕にはめてもらい、肩をこらしたという思い出もおす。お座敷へは一ぺんも出たことがおへんでしたが、私が切符を買うてもろうてる先などへは進んであいさつに行ってくれましたし、義理を立ててわざわざ高島屋へ呉服をあつらえてりもして、礼儀正しいきちんとしたところのある人どした。私が胸をわずろうている時も舞台からおくすりまでおくってくれ、五千円のお見舞までもらいました。

三宅 いま生きていたら七十三ですね・・・

松本 そうどす。二十八歳で南座で「大杯」をしてから・・・早いもんどすな。最後に会うたのが昭和十四年の顔見世で、その翌年の二月二十三日に亡くなりました。危篤という電報をみて発ちましたが、記者の中で死んだ事を知り死に目にあえなかったのが心残りどした・・・。ちょっとも来てくれというたよりがなく、どんな工合やろと思っている間に死んでしまはって・・・。

三宅 ひいきにしたあなたにも頭がさがるが、それに答えた左団次もえらかったと思いますねえ。

『スカッとしていた芸 舞台に匂う情けと色気』

三宅 高島屋という俳優は大正の中ごろ、震災の前あたりからぐっとよくなったひとでしたよ。不評判から評判へ、底からぐっとのしあがったひとでしたね。

松本 ちょっと妙な人どした。

三宅 若いころから新しい書物にとっくみ、三回も洋行を重ねて革新の気風を舞台にもった開拓者としても彼の右に出るものはありませんよ。ところ失敗におわったけど、高島屋というと一番問題になるペーゼントのことをきかして下さい。

松本 それはえらいことどした。毎晩おけい古があってかがり火をたいてしてしてはりました。おふとん持っていって石段のところで見ていましたがよろしおした。うちの高橋さんは「山門へ上って芝居したのはよかったけど立って見得をきった時にはぞっとした」というてはりました。当時はものすごい人出で、どうにもこうにもならないさわぎどした。それが馬があばれだしてさわぎが起こっていたんどす。怪我人は出ませんどしたが。

三宅 忘れもしません大正十一年の十月でしたね。丁度近松の二百年祭が大阪中座にあり、岡さん(鬼太郎氏)ら先ぱいと見に行ってました。そこへペーセントをすまして小山内先生もこられましたが、みんなが「どうでした」と伺っても、すっかりしょげられて「きかないでくれ」とお気の毒でした。

“敗軍の将兵を語らず”というところでした。ところであなたは高島屋のどの舞台がお好きでしたか。

松本 スカッとしていた芸が好きどした。南郷もよろしおした。富樫も好きどした。成駒屋の富樫をお師匠さんと見た時でした。

弁慶が勧進帳を読む件で、えろう富樫がにじりよってのぞきに行かはりますが、高橋さんのはちょっとものぞかはらんので「どっちがええのか」と聞いたら「富樫はなにもかも知っているのやからそんなにのぞき込まんでもええ」というので一ぺんに好きになりました。

茨木の綱もよろしおしたな。ある人がいわはりました。成駒屋は町人の色気を出すのが上手で、高島屋は武士の情と色気を舞台ににおわせた人やと・・・こんなとこも好きどした。






by gionchoubu | 2017-10-31 12:07 | パンパン、赤線 | Comments(0)