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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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京都パンパン赤線時代 二十三

京都パンパン赤線時代 二十三_f0347663_12201147.jpg
                    若い女性に人気の祇王寺

照葉は大正七年、江藤との妾生活を清算した後大阪南地に戻り、再び左褄をとります。ふとした機会から北浜の若相場師、小田末造を知ったのは大正八年、照葉が二十四歳の時でした。

「わしの女房になってんか、なってくれたら、アメリカへ新婚旅行に連れていくがなあ」

日頃アメリカに興味のあった照葉は「いくらでも、その代わり、アメリカへ連れていってくださいよ。でなけりゃすぐ離婚しますよ」嘘のような話が本当になり、照葉は北浜の株屋の女房になり、当時の宗右衛門の町雀を驚かせました。

そして大正九年、二人は渡米します。そして照葉はハリウッド映画スター早川雪州との関係を夫に疑われます。二人は疑われても仕方が無い行動を取った為です。どこへいってもスキャンダルの方が彼女を追いかけてくるのでした。

渡米して二ヶ月が過ぎ、小田も朝帰りが多くなり、ジッとしておれない彼女はアドレナリンやタカジアステーゼの発見者として名高い高峰譲吉博士のオフィスを訪ね、ニューヨークの郊外のタリータウンの家政学校を紹介してもらいました。

そこでタツ(照葉)は寄宿舎住まいをすると。同じ学校でルームメイトのヒルドガルドと同性愛関係となり、それが原因で放校処分を受け帰国しました。

フィクション作家でさえ躊躇うような事件が次から次へと舞い込むのは彼女にそれを迎え受ける情熱と隙と、さらに男も女をも狂わす美貌があったからです。

大正十二年、次に照葉の身に起こったのは、主人の小田の関係で、創世記の日本映画の女優として帝国キネマの中川紫郎「愛の扉」のヒロイン“お葉”という十八歳のしか煎餅売りの役で映画デビューを果したことです。

この時照葉は二十八歳、相手は若い役者の五味国男で、試写会のとき酔いにまかせヒルドガルドからもらったコンパクトを五味にあげてしまいました。

これが五味の心を発狂させ、思いに焦がれきった迫り寄る五味に身をまかせてしまったのです。これを知った小田は当然悪鬼の如く怒り、連日の折檻を受けます。

不倫の妻は、衝動的に常用している手に余るほどのアダリンを口に含みウイスキーで流し込みました・・・が、幸い辛くも一命をとりとめました。

照葉の自殺未遂の結果、なんとか表面上夫婦関係を取り戻した二人は再びアメリカにわたり、そこから夫婦でパリに渡り、そこでも謎の男性に身をまかせてしまいます。

その後日本に再び舞い戻り再び、五所平之助監督の「奔流」という松竹映画に出演したり、花隈で再び左褄をとったり、道頓堀で「テルハの酒場」のママになったり・・・

そして、迷い、悲しみ、流転を生み出した自分の髪を落し、昭和十一年七月に京都大覚寺塔頭祗王寺高岡智照として入庵、生涯をこの寺にささげました。

大正十四年に離婚した小田末造は、昭和十七年に祇王寺の智照を尋ね、「どうせ死ぬなら好きなアメリカ人に撃たれて死にたい」と言い、同年ニューギニア・ギルバで戦士しました。

押し寄せる敵兵に、もはや銃にもことかき、スコップやツルハシで立ち向かい、見事仲間と散華されたと嘗ての上官から伝えられました。

小田は「わしの魂のいく所はたつ子の傍以外ない」と語っていたそうです。

照葉は平成六年、98歳でその生涯を終えました。

参照:高岡智照尼『火喰鳥』かまくら春秋
京都パンパン赤線時代 二十三_f0347663_12204274.jpg

by gionchoubu | 2017-08-31 12:34 | パンパン、赤線 | Comments(0)