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by gionchoubu
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京都パンパン赤線時代 二十二


上は舞妓の千代葉時代、下は新橋時代の照葉
千代葉が自分の指を切った事は大センセーションとなり、廓では八百屋お七とか、すえ恐ろしい毒婦のように噂しました。そして南地に居辛くなった彼女は東京は新橋の新叶家の静香を頼って生まれて初めて東京の地を踏みました。
静香は西の八千代、東の静香と例えられたほどの東京の名妓の一人でした。時は明治四十四年、千代葉はまだ十五の年、そしてここで初めて照葉の名を名乗りました。
この時、本人の承諾無しの上、三千円の身代金と五年間の年期奉公の条件で新叶家に抱えられたことを知った照葉は「強くなろう。なんでも強い人間になろう。大人の自由にされてはたまらない、親であろうが、強く出てくりゃ、こっちも強く出てやる」と思いました。
やがて照葉は超一流の新橋でめきめき頭角を現し、一、二位を争う売れっ子になり、桂太郎の殿様のお気に入りになり、西園寺公望の御前様からも名指しを頂くようになり、高橋是清にも可愛がってもらい、大隈重信も客になりました。
それ以上にかの女を引きたてたのが原敬、北里柴三郎、細川護立男爵・・・綺羅星のような名が並びます。
大正天皇の或る大典の時に、新橋の芸妓衆が仕丁姿で花車を引いて二重橋前で祝意を表した際、婦人矯正会の矢島楫子がこれを怒り、当時の東京市長の後藤新平に「売春婦風情を、大典に出すとは何事か」とつめよりました。後藤は「彼女等もまた陛下の赤子である」と平然と言い放ちました。
この後藤新平も照葉の大馴染みでした。
さて、一人前の芸妓になると、いくら座敷が忙しくてもそればかりでは華やかな芸妓稼業にはどうしても無理な借金が増えていきます。旦那を持たないと気前良く人付き合いが出来ません。
ところが、照葉の面倒を見てやろうという人は、かならず野暮なごつごつした金満家、彼女は金で売られた身は飽くまでも金のために売っていかなければならない運命にのろわれていると悟ります。
そして十八の時、清香の勧めもあり、四十そこそこで妻子のある江藤という鉱山師の男の妾になり、芝の愛宕下町のかなり大きな借家と、婆やとその婿夫婦、それに女中と小間使いの人をつけてもらい贅沢な暮らしを始めました。
「ねえ婆や、私つくづくいままで馬鹿だったと気がついてきたわ、江藤さんに何故もっと早く頼らなかったかしらとこの頃になって思うわ。お妾なんて、本当に嫌なこったと思っていたけど、なってみれば随分のんきでいいものだわね。こうして贅沢して気ままな暮らしがしていければ、嫌な人でもそれほど苦にもならないわ」
十八から足掛け五年という普通の女性が最も多感で輝く時、普通でない照葉はお妾さんとして静かな生活を送りました。
参照:高岡智照尼『火喰鳥』かまくら春秋
千代葉が自分の指を切った事は大センセーションとなり、廓では八百屋お七とか、すえ恐ろしい毒婦のように噂しました。そして南地に居辛くなった彼女は東京は新橋の新叶家の静香を頼って生まれて初めて東京の地を踏みました。
静香は西の八千代、東の静香と例えられたほどの東京の名妓の一人でした。時は明治四十四年、千代葉はまだ十五の年、そしてここで初めて照葉の名を名乗りました。
この時、本人の承諾無しの上、三千円の身代金と五年間の年期奉公の条件で新叶家に抱えられたことを知った照葉は「強くなろう。なんでも強い人間になろう。大人の自由にされてはたまらない、親であろうが、強く出てくりゃ、こっちも強く出てやる」と思いました。
やがて照葉は超一流の新橋でめきめき頭角を現し、一、二位を争う売れっ子になり、桂太郎の殿様のお気に入りになり、西園寺公望の御前様からも名指しを頂くようになり、高橋是清にも可愛がってもらい、大隈重信も客になりました。
それ以上にかの女を引きたてたのが原敬、北里柴三郎、細川護立男爵・・・綺羅星のような名が並びます。
大正天皇の或る大典の時に、新橋の芸妓衆が仕丁姿で花車を引いて二重橋前で祝意を表した際、婦人矯正会の矢島楫子がこれを怒り、当時の東京市長の後藤新平に「売春婦風情を、大典に出すとは何事か」とつめよりました。後藤は「彼女等もまた陛下の赤子である」と平然と言い放ちました。
この後藤新平も照葉の大馴染みでした。
さて、一人前の芸妓になると、いくら座敷が忙しくてもそればかりでは華やかな芸妓稼業にはどうしても無理な借金が増えていきます。旦那を持たないと気前良く人付き合いが出来ません。
ところが、照葉の面倒を見てやろうという人は、かならず野暮なごつごつした金満家、彼女は金で売られた身は飽くまでも金のために売っていかなければならない運命にのろわれていると悟ります。
そして十八の時、清香の勧めもあり、四十そこそこで妻子のある江藤という鉱山師の男の妾になり、芝の愛宕下町のかなり大きな借家と、婆やとその婿夫婦、それに女中と小間使いの人をつけてもらい贅沢な暮らしを始めました。
「ねえ婆や、私つくづくいままで馬鹿だったと気がついてきたわ、江藤さんに何故もっと早く頼らなかったかしらとこの頃になって思うわ。お妾なんて、本当に嫌なこったと思っていたけど、なってみれば随分のんきでいいものだわね。こうして贅沢して気ままな暮らしがしていければ、嫌な人でもそれほど苦にもならないわ」
十八から足掛け五年という普通の女性が最も多感で輝く時、普通でない照葉はお妾さんとして静かな生活を送りました。
参照:高岡智照尼『火喰鳥』かまくら春秋

by gionchoubu
| 2017-08-27 12:30
| パンパン、赤線
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