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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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舞妓時代の照葉

波乱万丈というのは此の人の為に有るのではないか、と思うほど数奇な人生を辿った大阪南地の超美人芸妓照葉、その人生エピソードを追うのは次回として、彼女が最後に選んだのは、嵯峨野の祗王寺で尼として仏門生活を送ることでした。

仏門を叩いて14年、54歳になった智照尼(照葉)に突然環俗説が持ち上がったのです。この風評に驚いた嵯峨大覚寺では、事の真相を調査するため味岡執事を大覚寺の塔頭である祇王寺を向かわせ事の実相を尋ね、彼女の心境を聞きました。

このとき同行したのが京都新聞の記者で、翌日の京都新聞、昭和24年9月13日『環俗説をめぐって 心にもない風評 かつての名妓、智照尼の語る心境』として掲載されました。

「どういう間違いでそうしたことが伝えられたか知りませんが、環俗などして照葉の昔にかえるなど思いもよらないことで、私はここ(妓王寺)を人生最後の死場所ときめている気持に絶対に変りありません。

私の話したように伝えられた中には私が書いた“照葉ざんげ”の文章からまことしやかに風評がとんでいるらしいのです。

ただこうした混迷の中になりますと私だって迷うこともありますが、併しどこまでも衣を着た気持で一生を過ごしたい念頭でいることだけはハッキリいえます。

私のこれまでの体験をなやみを持つ人たちに聞いて頂いて、多少ともこれらの人々に心のうるおいを与えたらということを考え出来ることなら悩みを持つ人たちに私の人生経験を話して生きたい―これが私の夢なのです。

私の日課?毎日のように書きものをしていますが過去の経歴にさまたげられることもあったり却々思うようにもいきませんが、これは率直にいって私個人の経済状態をどうこうということより妓王寺を保存して頂く気持がほしいものです。

私の落ち葉の句が問題になりがちですが、どうでしょう落花なら色気もありますが落葉ではもうおしまいです。

とにかく十四年すみなれたこの寺を私の死場所ときめておりますし、どんなことがあっても墨染の衣を着ている気持を捨てない私であることだけは断言できると思います。」

その落ち葉の句は紙面に載っておりませんが、照葉の自伝『火食鳥』の「あとがきにかえて 過去帳より」に米寿、八十八歳になった句が載ります。

奔放に生きし過去はも遠花火 智照          合掌




by gionchoubu | 2017-08-23 11:42 | パンパン、赤線 | Comments(0)