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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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京都パンパン赤線時代 五

京都パンパン赤線時代 五_f0347663_11350965.jpg

キャバレー歌舞伎・・・旧京洛映画劇場となっています、河原町六角北の京宝はこの時期存在していますので、もう少し西にあったと思います。右欄には、ここで、あきれたぼーいず、田端義夫、森光子の出演予定が記されています。

昭和二十一年、八月二十七日の京都新聞によると、七条署では二十五日夜八時から十時まで伏見、七条、岡崎、三条、四条、祇園、円山方面で夜の女の検挙を行い、平安病院で検診させたところ、十四人中三人にが病毒に蝕まれており、強制入院させました。

収容者は十八歳から三十一歳までで、その中には人妻一、女学生一、美容師見習一が含まれるとの事でした。

尚、同日の紙面で、失明等の危険をもつメチール(アルコール)を販売した十二人の被告に、十五年の極刑が言い渡されており、又、この月より、二十一日の弘法さんと二十五日の天神さんの露店が許されたものの、禁制品の煙草や清華物を、所謂闇販売をしたとして、正午までに千余軒中、七十八名が検挙されています。

私娼、メチルアルコールそして闇販売と当に時代を感じさせる一日でした。

さて、前回酌婦、芸妓、雇仲居、そしてダンサーの検黴状況についてかきました。カブキは166名中一人の梅毒保菌者がおらず優秀な成績だったのにもかかわらず、九月三日の紙面では、八月三十日の午後十時にキャバレー歌舞伎のダンサー十余名が、閉店後京都ホテル裏のダンサー合宿所に帰宅したところ、入り口張り込み中の警官が彼女等を売淫容疑で木屋町二条の派出所に拘束し、強制的に平安病院で検黴させて問題になりました。

ダンサーは指定期間中に検黴した検診証明を提示、キャバレー歌舞伎の支配人も派出所で説明したにもかかわらず、警察側はこれを無視したことで、歌舞伎のダンサー達は行き過ぎた取締りに憤慨、キャバレー協会としても厳重抗議に踏み切る事にしました。

キャバレー歌舞伎があったのは河原町六角西ですが、近所の店にお聞きしてもわからず、この辺の古いことをご存知の料理屋さんを紹介していただいてお聞きしても首を傾げるばかり、終戦後仇花のように現れたキャバレー歌舞伎のことはご存知有りませんでした。

そして、八月二十八日から三日間も府警本部は市内各署を動員して大掛かりな闇の女の取り締まりをしたところ、検挙395名中81人が罹病者、20%、5人に1人が花柳病でした。

検挙者の年齢

21~25歳が181人で46%
20歳未満 が148人で37%で、25歳未満で83%を占めました。

学歴

国民学校卒業 151人で38%
同中退     82人で21%
女学校卒業  124人で31%
同中退     38人で10%

職業

無職     297人75%
ダンサー44人、事務員14人、女給10人、洋裁娘10人、店員8人、酌婦の街頭進出4人、看護婦3人、交換手、ゲーム取、職工が各二人でした。

闇の女になった理由

戦災や引揚者などで生活難の為 33%
放縦で身を持ち崩したもの   27%

そして記事は・・・好奇心から闇に佇み始めたもの18%で近代娘の無軌道ぶりをはっきり示していた。と結んでいます。



by gionchoubu | 2017-07-11 11:43 | 赤線 | Comments(0)