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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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笑門と蘇民将来



笑門と蘇民将来_f0347663_11424970.jpg
                        祇園の蘇民将来

祇園や伊勢地方を歩くと、「笑門」もしくは「蘇民将来子孫家」という注連縄が軒先にあるのを良く見かけます。

その由来と分布について今回と次回で私なりに書いてみます。

田中緑江は『祇園さん 祇園町界隈』の疫神社の項で、一つは蘇民将来と八坂神社の祭神、素盞鳴尊(スサノオノミコト)ともう一つは、仏教側で習合する牛頭天皇(ごずてんのう)との関係を二つの文献より紹介しています。

まずは「八坂誌」で、

祭神は蘇民将来(そみんしょうらい)と云います。素盞鳴尊が南海へ行かれ日暮れになりました。

兄弟の県守(あがたもり)が住み、兄の佐味県守(さみのあがたもり)は大変貧棒で、弟の小田(こだ)県守は富豪で家も百棱も在りました。

素神はここで泊めてほしいと頼みましたが、どうしても泊めてくれません。

仕方がないので、貧しい家であるが佐味県守に頼みますと心よく宿をかしてくれました。そして粟穀をむしろにし粟飯を御馳走しました。

素神は翌朝分かれて出て、後再びここを訪ねられた時、お礼をしたいが家族はと問われ、自分等夫婦と娘の三人と答えますと茅をとって輪を作り腰の上(ほとり)につけよと云われ、吾は素神である。

疫気在らば、汝が子孫と云い茅輪を為りて腰の上につけ、疫病のまじないにせよと、蘇民将来は佐見県守を錯(あやまって)なりと

もう一方は「京童」では、

牛頭天皇とも武塔天神とも申すなり、このみこと南海の女子にかよいたまいし時、日くれぬれば宿をかりたまわんとおぼしめすに、蘇民将来といひ、巨且(こたん)将来のいう兄弟あり、このかみの蘇民はまづしく弟の巨且将来はとめり、

巨且に宿を借りたまわんと仰せられるるに、巨且かしてたてまつらず、尊いこんに思し召し、その後巨且を殺させ給へるなり、 ~略~ 蘇民将来は家まづしけれ共、尊に宿をかし奉り粟の供御をそなへけるとなり。

さらばその故をもて、六月十四日のまつりに四条京極にて、粟の神共をそなえ奉る也。

蘇民御宿をかしたてまつる、その御報恩に天下疫癘のことあれども、蘇民将来はのぞかせたまいぬるその印に、ちがやの輪と小さき札を衣の肩にかけさせよと仰せられるる故、即ち蘇民将来子孫とある小札幼少のもののえりにかけ、大人のまもりにいるる也、今神社にて杉の葉とちいさき札をうけ、みどり子の守にかくるこれ也。

いずれにせよ蘇民将来信仰が祇園で厚いのは、疫神社を囲む玉垣が殆ど祇園花街関係なので分ります。
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三重県、三河三和の旅館に巨大(5~6倍)な蘇民将来がありました。

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                  こちらは伊勢市で買い求めたミニチュア版

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                   祇園祭りで授られる粽の蘇民将来
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                       疫神社

by gionchoubu | 2017-07-05 11:50 | 祇園 | Comments(0)