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by gionchoubu
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祇園ぞめき その十八
祇園の君尾にしろ、小梨花にしろ、三本木の幾松にしろ、皆勤皇側でしたが、祇園新地三桝屋の君香は佐幕派の贔屓をうけた芸妓で、特に九条家諸太夫島田左近親章(ちかあき)に愛され、ついに君香は彼によって落籍されました。
左近は木屋町三条上がる路地(他の資料は木屋町二条下がる)の一軒を君香の住まいとし、この美しい流行妓を妾として囲いました。
ただし勤皇党の久坂玄瑞や寺島忠三郎、入江九一らに必用に命を狙われていた島田の足は、君香の家から次第に遠のいていき、彼自身は九条家の奥殿に潜んで何人の面会をも禁じていました。
ある日、君香が三条小橋を歩いていると、芸妓時代に時々座敷に呼ばれた桑名脱藩の本間精一郎に出会いました。本間は表面勤皇と見せかけ実は佐幕党の一員として勤皇の様子を探っていたのです。
本間は後日君香の住いを訪ね、鴨井の提灯箱に五三の桐の紋と角に島田の文字を見つけると、自分は佐幕党と教え、連判状を君香に見せ信用させ、是非島田と面会したいと言ったので、君香はその事を文に認め島田の元に遣わせました。
ほかならぬ愛妾の文に心を動かされた島田は、文久二年七月二日夜も更けると、白の薩摩上布、小紋絽の羽織、深編笠に雪駄の町人風に装い君香の元を訪れたのです。
久々の旦那のお越しに、持遇の平素に増し、積もる想いの情けに、盃の数も増した頃、本間精一郎が現れ、同志の事とて盃を交わし、密談に時を移し、本間は帰路につきました。
島田が君香の酌に更に数杯を傾け、川風涼しい縁側に横になった時、表戸が荒々しく鳴り、人が押し寄せてくる気配、数名の勤皇浪士が現れると、刀を抜く暇もなく煙草盆を目潰しに投げつけるものの、「漢賊待ツ」と一人が肩先に切り込みました。
切られながらも左近は磧伝いに川端戎側の目明し文吉の家を目指したのですが、勤皇方が待ち伏せしているのを見るや否や、今度は二条通り西へ九条亭に逃れんと駆け出した時、別の勤皇党が現れ、とうとう島田は取り押さえられました。
この手引きをしたのが、島田を売って勤皇方の信用を得んと目論んだ本間精一郎で、勤皇浪士と一緒に左近の拷問に加わり、ついに島田は秘密の奸策、連類者の名を白状しました。
君香も、こんな騒ぎが起ころうとは夢にも知らず、殆ど狂気の態、さらに勤皇浪士の手に取り囲まれ、種々取調べを受けました。
左近は「天誅を加えて呉れんず」と久坂玄瑞の刃で首を刎ね落とされ、死体は高瀬川に捨て置き、首は四条磧に晒されました。
島田の首は君香の願いで西大谷鳥辺山に埋められました。
其の後、目明し文吉も、本間精一郎も、久坂玄瑞、寺島忠三郎、入江九一もここに名が出た男は皆、自害、戦死、あるいは非業の死を遂げました。
維新後祇園新地に戻った君香は再び芸妓になりました。
ところが、座敷が淋しく廃業して小方屋を営み、明治の終わりごろに亡くなりました。
無常と言う言葉しか私には思い浮かびません・・・
参照:技芸倶楽部、維新と京美人(二) 東山西人
by gionchoubu
| 2017-06-30 14:23
| 祇園
|
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