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京都パンパン赤線時代 三
芸妓の検黴実施が各方面から注目を浴びる中、先斗町の順番となりました。ところが検査を受けたのが、百七十名の芸妓がいるにもかかわらず、わずか九名、他は全部旦那がいるか、有夫がいるという届出をして検黴を忌避したのです。
さらに状況を悪化させたのは、検査を受けた九名の内一人が病菌保管者だったことが判明したからです。
立会いの医師は「かかる届出では他廓へも及ぼす影響が大である。」と当廓閉鎖も辞さぬと激怒、寺井取締りは陳謝、全芸妓の再検査をやることになって漸く火の手は収まりました。
寺井徹郎は遠州から来て先斗町に住みつき、やがて頭角を現し取締となって、その新鋭の気質が積極的な諸政策を生み出し、先斗町の発展とモダーン化に尽力した人です。
先斗町に洋装のモダン芸妓を打ち出したり、昭和四年五月、鴨川踊りに英国グロスター公殿下が観劇の際、殿下と握手をしたり、昭和十一年にチャップリンがゴダード嬢と矢張り鴨川踊りの観劇の際も寺井取締の時代で、昭和二年現在の歌舞練場を建てた出雲取締りの後、長きに渡って先斗町の発展に努めてきた人です。
「これはなかなか六ケしい問題で、此方にも手落ちがあったわけですが、今後は万全を期す考えです。」と寺井徹郎取締は語りました。
この時点で受検した遊廓は北新地(五番町)九名、上七軒二十二名、宮川町二十六名で何れも罹病者がなく、たまたま先斗町で一名でてしまった事になります。
今後芸妓の検黴は祗園甲部、乙部、島原が行う予定です。
検査を前に妓乙の松村取締は
「現在芸妓の該当者七十三名で、検査の前日に廃業するものが相当あると思います。却て除外例があるのがいけません。皆その陰にかくれようとするので、その点の判別が苦労です。」
検査の済んだ宮川町榊取締は
「内娘で、ハッキリ旦那の決まっているものでも、此方は認めぬことにしました。旦那の奥さんが二号として認めるというなら除外者とするということにしました。それがため廃業する者は仕方がない。しかし廃業した者が闇でかせごうとするので、この監視が大変で、もし廃業者を客席に侍らした青楼があったら組合は取引を停止することを申してあります。」
記事は宮川町の廃業芸妓は三十余名、祇園甲部は八十余名が廃業するものと見られている、と結んでいます。
by gionchoubu
| 2017-06-29 10:47
| 赤線
|
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