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by gionchoubu
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花柳病 その三
花柳病予防法が発令されると、色々な憶測が飛び交ったようです。『技芸倶楽部』
「花柳病予防法と芸妓 昭和三年一月一日から実施」北野文堂
を読むと、内務省の目論見は、花柳病の撲滅には、芸妓、雇仲居、酌婦、女給、料理屋、宿屋、果ては女髪結にまで検黴の網を拡張すると目論んでいるという噂が世間では飛び交っていたようです。
京都市内の遊廓は勿論、雇仲居組合でもこの件に関し協議はするものの、肝心の施行細則や府の取締方針も分からず、経費支出の点も、その他何等具体的成案もないので、全く手のつけようが無かったようです。
参考となるのは、石川県が数年前から芸妓の検黴を実行している事、但し旦那のあるものは、一々その旦那の住所氏名を所轄警察署に届けて認可を受ければ検黴を免れ得るという事でした。
金沢などで、芸妓が娼妓と同じ働きを強要されていたのは『廓のおんな』井上雪著などを読むと分かりますが、これを祇園などの芸妓と比べるには無理があるのは当然で、四人旦那持ちなら四人の名前・住所を届ければならぬか、その中で選ばれた旦那だけを届けるか、届けられた旦那は幸せ者か、いや不幸せ者か、と色んな方面に心配が行ったようです。
北野文堂は旦那のない芸妓が「マアマア何うしましょう、娼妓さんと同じ様に検査をされるのどすか、私そんな事されてはかないません。」と、柳眉を立てて廃業してしまったり、少々都合が悪いけど落籍してしまう事でした。
さて、その頃、京都府保安課の調査によると、府下の芸妓総数2、545名、内市内が1,845名で郡部が700名でした。
市内の部
祇園甲部 718名
祇園乙部 328名
宮川町 421名
先斗町 260名
上七軒 75名
島原遊廓 59名
七条新地 10名
郡部の部
伏見中書島 67名
伏見北恵比寿(撞木町) 7名
綴喜郡橋本遊郭 42名
福知山猪崎新地 92名
宮津新浜新地 99名
舞鶴朝代新地 76名
中舞鶴加津良新地 43名
新舞鶴龍宮新地 31名
遊廓以外に稼ぐ芸妓
宇治町 30名
木津町 40名
亀山町 44名
園部町 56名
綾部町 54名
峰山町 18名
網野町 35名
以前このブログで園部は花街と呼べたか尋ねあぐんでいましたが、これはもう純然たる花街があったと声を大きくして言えます。さらに大正期に網野に数人の芸妓がいた事は把握しておりましたが、昭和の始め網野にもそこそこ規模の花街があった事が読み取れます。
by gionchoubu
| 2017-06-24 11:07
| 私娼
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