花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。
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祇園ぞめき その十七
中西君尾・・・幕末の佐幕、勤皇方の凄惨な戦い、もし、勤皇芸者と呼ばれた彼女達が座敷に上がらなければ、単なる殺伐とした血のやりとりの物語に終始したでしょう。
長州藩士、井上聞多が佐久間象山の開国論に心を動かされ、海軍研究の為に国禁を犯して洋行する前、祇園の愛妓、君尾に別れを告げる為会ったのは一力の東の茶屋、竹の家でした。
「今日まで色々世話になったお其方に別れるのは、わしとしては実に堪らぬ程辛いけども、今更何とも仕方が無い。実はわしは遠からず異国に旅をする事になったから暫らく逢う事が出来ない。そちには種ゝ厄介にもなったので、今日は礼も言いたく、又別れも告げたく参ったのである。」
君尾は両眼に涙をため、潤んだ声で
「御国の御為めとありますれば何とも申上げも致しません。ただ御身を御大切に御成就なされて一日も早うお帰りあそばす事をお祈り致しております。」
悲しみの中、君尾は自分の帯の間からその頃さかんに流行った縫取の紙袋を出すと、
「真にお粗末な品では有りますが、何分急の事とて好い考えもありませず、鏡は女の魂とも言いますゆえ、どうぞこの品を記念(かたみ)と思ふてお納め下さいませ。」
洋行を終えた聞多は郷里山口で、俗論党に切り付けられ、身に数十ヶ所の傷をつけたものの、致命傷となるべく受けた右腹の傷は、君尾の鏡袋のお陰で命を落とす事から免れたのです。
何かと首を傾げる幕末の逸話が多い中、後に聞多が君尾に打ち明けた話を、口述として纏めたものが元になります。私は聞多が君尾を愛する余り、懐にあった鏡袋のお陰にして、語ったのかもしれません。
明治四十五年、君尾の還暦に際し、井上候は其れを祝すため、金一百円を添え
六十ひとつ年のはしこをふみこえて 君を思えはかきりあらめや
の一首を贈りました。
明治45年に還暦なら、慶応三年、『四方の花』の嶋村屋に君尾が載ったのは15歳です。当時14、5歳の芸妓は珍しい事でありません。芸妓は旦那さんが持てる、一人前の女である、と言う意味でもあるのです。
『佐多女聞書』で踊りの名手、松本佐多は
「それから中西君尾はん・・・これは、まァ、もう一つ偉い人で、ボャンとしているように見えて、寺内つァんでも、山縣はんでも、井上馨さんでも、お連れみたいに言うていやはったさうどす。」と述べていました。
明治三十年頃、伊藤博文が祇園中村楼に中西君尾を呼びました。君尾は博文の意を受け、祇園の舞妓十五、六人を並べました。居並ぶ舞妓をずらっと見渡すと、
「おい君尾」
「お気に入ったのが見つかりました?」
「いや気に入ったのはない、どれもこれも山家育ちで」
「あほらしい、この妓どもはどれも祇園のよりぬきばかり、それに山家育ちとは、あんまりやありませんか」
「なに、これが祇園のより抜きばかり、ふん、昔に較べて祇園美人も実に凋落したのう」
君尾は、伊藤公は昔と違って、行かれる先々でいい女に出会えるので、目が肥えてしまい、大抵の女でもいい女よも、美人とも思わないのだろう、と話ました。
私の見解は違います。
その昔、高杉や井上が魚品の二階で祇園の芸妓を侍らしていた時、上がり口で赤合羽にくるまって五合徳利を抱きながら、水洟を垂らして高杉や井上の帰りをじっと待っていた男がありました。同じ長州出身でも家格の違った俊介・・・彼こそ後の伊藤博文となるのです。
二階の嬌声を胸に、やるせない時代の鬱屈とした思い出が、突然希代の成功者の脳裏をよぎり、大勲位をして、こういった大人気ない行動を取らせた様な気がします。
参照:技芸倶楽部、昭和二年三月一日号、季刊ぎをん53号、昭和四十八年
by gionchoubu
| 2017-06-19 11:38
| 祇園
|
Comments(4)
Commented
by
今紫
at 2017-06-30 16:50
x
ぞめき様、こんにちは。6月は今日でお仕舞い、明日は祇園祭一色です。最高潮の先祭、後祭の山鉾巡行が待ち遠しです。今は無き練り物が復活することを願う次第です。
さて、君尾が活躍した祇園内六町、外六町の町並み(祇園新橋除く)、膳所裏は酷い有り様です。祇園花見小路のようにお茶屋の町並みに復元して町そのものを再開発していただくことを望みます。また、防災、景観、安全を徹底して愛される花街として生きるように祈ります。
さて、君尾が活躍した祇園内六町、外六町の町並み(祇園新橋除く)、膳所裏は酷い有り様です。祇園花見小路のようにお茶屋の町並みに復元して町そのものを再開発していただくことを望みます。また、防災、景観、安全を徹底して愛される花街として生きるように祈ります。
0
Commented
by
gionchoubu at 2017-07-01 11:46
> 今紫さん
本当の所はわかりませんが、最近祇園東で変身された舞妓さんが毎日ある(外国人向け?)レストランお昼に通ってます。変身舞妓と銘打って行くならまだしも、本物の態なら大問題です。
そいいう事も含め、花街、遊郭、赤線などの勉強会か情報交換会みたいのを作れたらいいな、と最近模索している次第です。
本当の所はわかりませんが、最近祇園東で変身された舞妓さんが毎日ある(外国人向け?)レストランお昼に通ってます。変身舞妓と銘打って行くならまだしも、本物の態なら大問題です。
そいいう事も含め、花街、遊郭、赤線などの勉強会か情報交換会みたいのを作れたらいいな、と最近模索している次第です。
Commented
by
BIG-BIRD
at 2020-02-05 08:32
x
Commented
by
gionchoubu at 2020-02-06 16:38
> BIG-BIRDさん
コメント有難うございます。手元の資料ではわかりませんでした。何かの折調べてみます。万一ヒントが出ればここにかきます。
ブログには書いていませんが、君尾がお座敷を勤めた祇園のお茶屋の魚品は島原の輪違屋が祇園に出した支店だったと輪違屋の十代目から聞きました。
コメント有難うございます。手元の資料ではわかりませんでした。何かの折調べてみます。万一ヒントが出ればここにかきます。
ブログには書いていませんが、君尾がお座敷を勤めた祇園のお茶屋の魚品は島原の輪違屋が祇園に出した支店だったと輪違屋の十代目から聞きました。