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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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祇園ぞめき その十六_f0347663_13480275.jpg
祇園ぞめき その十六_f0347663_13483790.jpg
立て看板には小梨花とあります・・・当時は芸妓にこういった漢字を普通充てないのですが・・・

高杉晋作に祇園の芸妓いづつの小りか有り・・・は田中緑江さんの著述などで存じ上げていましたものの、それ以上の話はなかなか出てきません。

慶応三年版『四方の花』をみると、確かに祇園のいづゝ屋の芸子に小りかの名があるので、史実を裏付ける資料となるでしょう。この年、いづゝ屋には芸子、まい子が三十五人、義太夫芸妓が六人、新内が一人所属していました。

ただし、前年の慶応二年版『全盛糸の音色』では小りかの名を確認出来ない事も付け加えておきます。

この時、祇園で芸妓の見世は井筒、嶋村屋、若松屋、京屋、鶴屋、万屋、玉屋、井上屋、三浦屋、近江屋、三桝屋、ときわ屋、鶴井筒、柳屋、東いつゝ、八尾屋そしていづゝとなります。

一力茶屋以上とも言われ、祇園一と称された井筒茶屋といづゝはともにイヅツと読むので混同されますが全く別の屋形です。

見世とは見番機能を備えた置屋のようなもので、この見世には基本客ははいりません。客がはいるのは一力、富美代などのお茶屋で、この見世から芸妓や舞妓を呼ぶわけです。

ですから、晋作はいづゝから呼んだ小りかとお茶屋魚品などで遊んだのです。

ただし、井筒の用にお茶屋でありながら、見世でもあるという家もありました。祇園は明治になり、この見世は解体、検番制になりました。大阪では、戦後まで扱い席という名で、このシステムは残りました。

東京ではこのような制度を聞いた事がありません。この~席は大阪以外、奈良、和歌山でも私自身確認しておりますので、関西独特のものでした。

さて、小りかですが、短い乍らこれを載せたのが『技芸倶楽部』昭和二年五月一日号の「維新と京美人(三)」東山西人で、その部分を抜粋します。

「魚品(うおしな)は元々長州藩のお出入りであったので、維新前後には長州藩のお出入であったので維新前後には長州出身の人が沢山この家で遊んだ。

だから一時魚品を称して長州茶屋と呼んだ位、殊に長州の高杉晋作の如きは連日魚品に尻を据え、気に入りの芸妓数名に囲はれ、昼となく夜となく、乙な爪弾を肴に盃を重ね、放談諧謔の裡密かに天下の形成を視察した。

今日も亦早朝から二階座敷に陣取った高杉、敵妓(あいかた)は井筒の芸妓小りか、此は井筒の店でも屈指の美人、高杉は小りかの愛嬌のみが気に入ったのではない。

常に高杉の意を能く汲み、高杉の為め佐幕党の内情を探知する才の持主であったからである。

そして高杉の意に叶ふた主要の点は其処にあった。小りかは高杉の意を迎ふる為めには密かに身命を賭して、佐幕党の内情探査に努めた。

高が芸妓ではではないか、何程の役に立つものかと頭からケナス事は出来ない
。假令家業は芸妓であっても時と場合には生じか男子の及ばぬ働きを為た。

況して高杉から種々国事を説き聞かされては、一生懸命の四字を真面目に生かしてゐた。高杉は日を経るに従い小りかを愛するの度が自然強くなった。」

なんとなく小柄で、負けん気の強そうな、そして利発が走った細面の若い女性の顔が浮かびます。

それに愛嬌まで加われば、晋作にとって小りかと過ごす時間は、狂おしいほど国事を憂える身にとってこの上ない癒しと、日本を動かすバイタリティの源となったでしょう。


by gionchoubu | 2017-06-15 13:51 | 祇園 | Comments(3)
Commented by 中西 at 2017-06-16 11:45 x
はじめまして。中西と申します。
色々調べていたところで、偶然たどりつきました。
先日会社で川端二条の町家物件を購入し、建物の歴史をさかのぼっていたところ、もともと二条新地であり、おそらく遊郭かお茶屋であったであろうと思われることがわかりました。
(物置から明治15年の新聞も出てきました)
また、京都府立大学の先生に物件を見ていただき、京町屋カルテも作成しております。
また「花街ぞめき」さんのブログを読み、近々図書館に行き、「川東思い出ばなし」「亡くなった京の郭」の二冊を閲覧してこよう思っております。取り急ぎ、いろいろブログを拝見させていただき勉強になりましたので、お礼までコメントさせていただきます。
Commented by gionchoubu at 2017-06-16 14:59
> 中西さん

コメント有難うございます。
私のブログが少しでもお役にたったなら嬉しいです。
京都遊廓見聞録にも載っている現存のお宅一軒のご主人とはお話させて頂いており、当時の建物と確認させて頂いております。
とにかく二条新地の情報は少なく残念です。
会社で購入された建物、もし拝見させていただけるなら、望外の幸せです。
また、なにか私に出来る事があれば、よろこんでお手伝いさせて頂きます。
Commented at 2017-06-16 17:56 x
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