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島原ぞめき 島原太夫と吉原花魁

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                 島原太夫 かしの式

ネットで島原太夫に関する声を拾ってみましょう。

「島原太夫は吉原の花魁とおなじ様にお客をとっていたか?」

「太夫は技芸の最高峰である」

「太夫には正五位の身分があった」

・・・などなど、その他も色々・・・私に言わせてもらえば、正五位の身分は一先ず置いておいて、答えは・・・全てイエスであり、全てノーであります。

だいたい350年前の島原太夫と100年前の島原太夫と現代の島原太夫を一つの太夫像と捕らえる事がそもそも間違であり、どの時代の太夫を指すのかによって答えは自ずと変わってくるはずです。

私は大きく、

一、六条三筋~島原~江戸期

二、明治時代~昭和三十三年、

三、昭和三十三年~現在・・・と分けて考えています。

一、 江戸期において、特に六条三筋~島原移転暫らくの太夫、つまり吉野太夫や夕霧太夫や八千代太夫の時代は、まさしく妓女の最高峰であり、技芸の最高峰であり、庶民がやすやすと近づける存在ではありませんでした。お客も太夫には礼を尽くして接し、太夫の方にも、客への拒否権があったり・・・これを女郎の最上位である花魁と較べるのは、まさしく失礼というものでありましょう。江戸末期でも、幕末の三名花の一人、輪違屋の桜木太夫は和歌、書道に深く通じ、教養に富んだ太夫でした。太夫は天神の中から価する者が昇格しました。この時代の島原は文化人のサロンでもありました。

二、 長らく王城の地の唯一の傾城町として、幕府の後ろ盾で日本三大遊廓の一角を占めた島原ですが、明治になると、今まで支えてくれた大名、豪商、しょっちゅう宴会を組んでくれた藩も姿を消してしまいます。又、法律的にも太夫の存在は認められておらず、ステータスは平娼妓と同じ、客も古雅な趣は尊んだものの、太夫を技芸の最高峰と信じる無邪気な人はあまりいなかったでしょう。
太夫も一から育てるのでは無く、娼妓の中から見込みがある者を太夫として売り出し、高く売っていたに過ぎませんでした。

三、 昭和三十三年、売防法の完全実施で、太夫も娼妓のたがをはずされ、自由の身になりました。しかしながら長らく娼妓の時代に甘んじた当時の太夫に、高い芸を求めるのは酷というものです。ただし六花街の一つとして島原の芸妓は、温習会も催し、非常に高いレベルにありました。
                           
そして、花街として京都五花街と芸を競った環境の中で、六歳から芸の道に入り、小唄、長唄、常磐津、地唄、踊り、太鼓、鼓の七種の芸能者である十代目輪違屋当主自ら師匠として輪違屋の太夫に稽古をつけています。

長い島原太夫の歴史の中、現役の如月大夫、薄雲太夫、桜木太夫は、私の意見と付け加えさせて頂きますが、廓という重い言葉から解き放たれた太夫として、のびのびと活躍されており、島原は新局面にあると思います。

私が危惧するのは、これからの島原なのです。




by gionchoubu | 2017-06-11 14:00 | 島原遊郭 | Comments(2)
Commented by 今紫 at 2017-07-11 19:13 x
ぞめき様、こんばんは。
各町の先祭山鉾の鉾立てが始まりました。暑い日が続くなか、お囃子の音を聞くと和みます。

御記事、拝読しました。嶋原の太夫さん、複雑な歴史がありますね。徳川期から明治維新当時までは「正五位」に相応しい貫禄を持ち、明治から昭和の売防法施行までは「娼妓」扱いされレベルは遥かに堕ち、売防法施行後は太夫の資質回復に奔走するも芸妓、お茶屋さんは減少、本来の姿を戻した時は組織としての嶋原は壊滅したことを私の中ではそう解釈します。
その代わり、芸妓さんの芸と質は遥かに向上したということになりますね。
特に戦前、戦後の赤線時代は酷いものですね。自分の町の回復のためなら手段を選ばず、「太夫」を大量生産させ(これが戦後の定期観光の「観光太夫」に応用され、それがメディア、FB、Twitterに登場する「偽太夫」を生み出す原因に繋がりました)、自分の財産である「松の位」を蔑ろにしたのがよくわかります。(その結果、松本楼の火災(1935年)というカルマの精算を受けたということでしょう。その跡は「トルコ温泉」、駐車場と変遷したのご存じの通りです)
これからは「質」を求め、極め、育て、残し、そして伝えていくのが嶋原の課題ではないでしょうか。町並みの復元(復原)、芸舞子の復活、育成も含めて取り組むことを望みます。
Commented by gionchoubu at 2017-07-12 11:16
> 今紫さん

そもそも太夫の正五位の根拠がどこにあるのか、きっちり説明してくれる文章に出会った事がありません。権威ある『色道大鏡』に「昔の太夫は、芸だに堪能ならば、貌はいたくすぐれずとも、太夫に称すべきが、近代の傾城は、芸堪能なりとても、容貌抜群にすぐれざれば、太夫とは定めず。百人が中を十人すぐり、十人が中より一人選び出す程ならでは、太夫とはいいがたし。当時は芸をはげまずして太夫となれば、奏せずして位階五位に准じ、氏性を改めずして上職(太夫の事)にいたる、最もうとむべき事なり。」とあるので、これが出所かも・・・