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祇園ぞめき その十五
以来、群書を読み歩き、苦節二十年、大正四年に脱稿、六十八編を成稿し、次いでこれを『京都叢書』の一部として、大正五年十月に刊行しました。索引をいれるとオリジナルは十五冊より成る大作です。
現在でも、京都の歴史のいわばバイブルの様な存在として色んな所で引用されているので、ご存知の方も多いでしょう。
首卷では京都の沿革、大内裏の概略について述べ、上京・下京の巻では、学区別に各町の歴史、町名の起源、旧跡、社寺について書いています。ちなみに当時現在の東山区などはまだなく、祇園も下京区の第十五区で分類されています。
略歴は、絹糸商の家に生まれ、すこぶる多芸多才、絵は望月玉渓に学び、山水、水墨、美人画等を能くし、初め玉輪、後に碓孤石・郁五堂・郁五・椿嵐屈と号しました。
また、真清水蔵六に師事し自ら轆轤(ろくろ)をひき、自ら絵付けをする外、書画骨董の収集も好みました。
家業は母親に任せ、長く京都市会、又府会議員を務め、古社寺特別建造物などの調査にも関係し、『京都古社寺誌料』一冊が当時京都大学付属図書館に所蔵されました。著作は他に『京都特産史』『京呉服の歴史』があります。
生まれたのが慶応三年なので、奈良に遊んだのが三十二歳、ですから坊目誌を完成させたのが五十二歳の事になります。
実を言うと、この碓井小三郎の未発表の作品の可能性がある手書の『京都町名考 祗園町之部』上下二冊を私は所有しています。
三、四年前、京都の古書市で(4万円ぐらいだったと記憶しています)購入しました。なぜ購入したかというと、私が追い続けている「祇園ねりもの」についての明時代催行分の詳しい記述があり、これは只物ではないと直感して迷わず買いました。(本当は少し迷いました)
購入当時はこの本の著者に関して全く手掛かりが無く、京都府立総合史料館他、考えられるだけの所に連絡しましたが、ご相談すらいただけず、唯一京都市歴史資料館に籍を置かれている先生に、全く思いもよらなかった碓井小三郎が著者の可能性をご示唆いただき、さらにCDにまで収めて頂いた次第です。
都をどりの明治三十二年までの表目が書かれているので、この年以降に書かれたのは間違いありません。
そして後日昭和五十二年刊『京の花街』渡会恵介著の上七軒の章に「明治の末年に、移りかわわる京の町々を記録にとそめようとして書かれた『京都町名考』(碓井郁五堂著)』の既述を得、碓井郁五堂(つまり小三郎)の北野版?もあることが分かり、その可能性は大きく開きました。
一切の無駄を省き、研ぎ澄まされた感のある、人間で言えば骨子のような『京都坊目誌』を現すに当たり、小三郎はその原型である、大変豊かな身を纏ったいくつかの『京都~考』を残したのでは無いかと私は想像してしまうのです。
もし、どなたか書肆の方がこれをご覧なら、この『京都町名考 祇園町之部』世に出して頂けませんか?
明治32年以前の祇園研究に大きく寄与すると思います。
参照:新修京都叢書
本書は上下合わせて約180ページ、今回載せたのは上之部の表表紙と上之部の最初の18ページ、下の裏表紙と下の部の最後の23ページ。
by gionchoubu
| 2017-06-09 11:35
| 祇園
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