花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。
by gionchoubu
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島原ぞめき 仮宅 その二
天保七年申三月改正、版元 三条通寺丁西へ入 丸屋善兵衛
置屋の部
桔梗屋
太夫十人と夫々に引舟一人と禿一人の二十人
天進六人と夫々に禿が六人(引舟が付くのは太夫のみですので天進の名の下は禿)
端女郎三人と禿?三人(本来橋女郎には引舟も禿も付かないのですが・・・)
芸子二十人とやりて一人、
輪違屋
太夫十人と夫々に引舟一人と禿一人の二十人
天進五人と禿?五人
芸子十八人とやりて一人
亀屋
太夫八人と夫々に引舟一人と禿一人の十六人
天進四人と禿?四人
端女郎五人やりて一人
ゑび屋
太夫五人と夫々に引舟一人と禿一人の十人
天進六人と禿?六人やりて一人
この内、桔梗屋、輪違屋、亀屋は他の置屋とともに『人目千軒』宝暦七(1757)年にも載るので少なくとも宝暦以来の創業になります。尚、桔梗屋は『人目千軒』には桔梗屋治介と桔梗屋藤衛門がありました。血がつながっていると思います。
話は少し飛びますが、島原は長い歴史のどこかで、置屋、揚屋等で親戚関係になり易い環境があり、例えば輪違屋さんと角屋さんも親戚になります。大阪の旧新町の名家、今は無き吉田屋も角屋と親戚という事なので、輪違屋さんと吉田屋さんも遠い親戚になるはずです。
そして最近島原の関係者から教えて頂いた事として、鶴雪、鶴種、鶴松楼のように鶴がつく貸座敷は角屋の分家で、西内楼や西勢い楼等西がつけば輪違屋、清花楼のように清が付けば青木楼の分家になります。
ちなみに置屋の青木楼は廃業された際、太夫の打ち掛けは全て角屋が買取りましたので、青木楼には無いという事も分かりました。
話を戻すと、慶応三(1867)年『四方の花』、松の粧嶋原名妓譜に載る置屋は輪違屋、桔梗屋、木津屋、亀屋、井筒屋なので、輪違屋、桔梗屋、亀屋が仮宅より島原に戻って江戸期を終えた事になります。
by gionchoubu
| 2017-06-05 12:44
| 島原遊郭
|
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