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大阪の湯女風呂 その3

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宮本又次著『上方の研究』にも僅かながら大阪の風呂に関して書かれています。前回の延宝年間の垢すり女のいた十四軒の内、

額風呂はかごや町(京町堀上通り)、灘波風呂(いせや町)、伊勢風呂(いたち風呂)、丁字ぶろ(渡辺すじ)、戎ぶろ(道修町)、柳ぶろ(六間町)(玉屋町)桔梗ぶろ(下博労町)などで、茶屋・風呂屋は長史団左衛門の手下について、傾城屋よりも下位で、人形廻し、猿まわしよりも下風に立っていました。また、灘波新地ももとは風呂屋の湯女からはじまったとの事です。

さて、上村彰行著『日本遊里史』が、当局による大阪の湯女の取締りに関して書いています。

大阪では寛永(1624~1643)と慶安(1648~1651)中に風呂屋、湯女の取締りがありました。明暦三(1657)年、木津川沿岸に古くからあった灘波島と三軒家の湯女を廃止、同年九月、大阪天満両郷風呂屋に対しても命令が下されました。

要約すると、風呂屋の主人が言う事には、女どもに月六回の休暇をやっているのだが、その時、女たちが勝手に客を引き入れ遊女商売をするのは、経営者の預かり知らぬ事、などと言うのは随分勝手な言いぬけである。

今後、毎戸、二、三人以上女を置き、美服を着せ客席に侍らせたら、亭主は入牢を申しつけ、家屋は取り上げるという沙汰でした。

上記の申しつけにもかかわらず、元文五(1740)年八月 町々に茶屋、風呂屋に白人と名付けた遊女同然のものを多く抱え、非合法の商売をする者が多く、傾城町(新町遊郭)から度々訴えがでている。これを止めるように何度もお触れを出すが改まらない。今後は屹度沙汰を下す事を知らせる。

延享元(1744)年にも、五年前にも行ったが、一行に改まらず傾城町から度々苦情が繰り返しくる、前回の申しつけを守るように、の様なお触れが出されています。

さらに、事態は一向に改善しなかった様で、天明八年二月、「茶屋風呂屋共定めの外茶立女、髪洗女等多抱置、外方へ差出、煮売屋、旅籠屋等にも紛敷奉公人差置候趣相聞え~略~」非合法遊女は沈静化する所か、拡大している模様が読みとれます。

結局最後は「右之趣容易の事に相心得候はヾ後悔可致候、能々茶屋、風呂屋、煮売屋、旅籠屋共、並三郷町中不残様可触知者也」

と、前回、前々回と同じような文言で締め括っています。

違うのは、取締り対象が茶屋、風呂屋から茶屋、風呂屋、煮売屋、旅籠屋に増えてしまった事だけです。

中野栄三著『入浴と銭湯』では、大阪では幕末まで、湯女風呂の人気が衰えず繁昌を続けた、としています。この所はもうすこし具体例が欲しいものの、私は未だ見ていません。






by gionchoubu | 2017-05-31 11:25 | Comments(0)