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大阪の湯女風呂 その二

古今参考南水漫遊初編』に「小三、金五郎説」が有り
元禄の頃、浮名立し“額の小さん、金屋金五郎”の実説を探り見るに、島の内に額ぶろ(風呂)といふ娼家なし。灘波雀とて延宝年中出版の小冊に、其頃市中に垢すり女有りし風呂屋十四間(軒)、湯屋二十二軒と記す。(同時出版灘波鶴にも同断)、其中に、蝋燭風呂道頓堀六間町太左衛門、柳ぶろ六間町善兵衛とありて、額風呂は籠屋町治郎也。
延宝六年牛冬出版の小冊『道しるべ』には、風呂屋十四株内
天満八丁目、大黒風呂(ゆな三人)
同五丁目、扇ぶろ(ゆな三人)
内平野町薬師ぶろ(ゆな三人)
内あんどうじ町はせぶろ(ゆな二人)
太左衛門橋柳ぶろ(ゆな三人)その余は湯女無之
かく記せども、元禄の頃には額風呂にも湯女ありて小三と呼ぶ。その証とするものは元禄年間の冊子風流文車(庫)というものに、額の小三が垢かきする処かきたる図ありて、小さんはその頃名高き湯女と見えたり。
~略~
額の小さんは籠屋町にて時めきし湯女なりしが、後に島の内綿屋といへる娼家の妓婦となれり
同じく『古今参考南水漫遊初編』に宝暦元年の島の内ねりもの(妓女の仮装行列)の番付けが載ります。二十七人の練り子(出演者)の内、宇治ふろ・百、千とせぶろ・小蝶、桔梗ぶろ・小たき、大黒ぶろ・岩、柏ふろ・にし、の五人が風呂屋が抱えた妓女という事になります。又お囃子の内にも三弦、薬師ぶろ・ひな、の名がみえます。
『守貞謾稿』(近世風俗志)の島の内の項に「当所の娼妓は、昔の湯屋女の遺風なり。今世、俗事更にこれなきといへども、なお官には垢磨女とこれを称すと云へり。故に往々、置屋に風呂をもって名とする者あり。薬師風呂と云ふもの、文政末か天保初めに絶亡す。大江風呂は天保府命、非官許の妓を禁ず時に亡ぶ。」
そして宝暦元年の上記の練り子を含む全二十七人の名と所属の置屋の名を挙げて、この多くの置屋多くは亡びた、と書いていました。
『古今参考南水漫遊初編』に言う、島の内の“千とせぶろ”を千年風呂と考えると、現在の千年町(せんねんちょう)商店会のある千年町筋にあったと私は推察しています。
それにしても、この辺りは全て宋右衛門町で一括りに町名変更され、千年町、玉屋町、笠屋町等々、ビルの名や看板だけで本当の大阪を伝えてるのは情けない限りです。
by gionchoubu
| 2017-05-29 11:08
|
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