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by gionchoubu
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京の銭湯史 その三

天保十一年『祇園新地細見図』を見ると、四条縄手を上ル東に大和湯が、今の松湯ビルの所に松湯(当時、富永町の北を松湯の丁と呼んでいました)が、そして今の花見小路に当たる通り(当時は薬湯の丁)に薬湯が描かれています。。
鴎雨散人『鴨東佳話』によると、その他、亀湯も祇園にありました。
湯女と京の舞妓には不思議な縁が有ります。祇園祭の際に舞妓は勝山に結います。この勝山太夫はもともと艶名を四方に謳われた江戸の丹前風呂の湯女で、明暦三年幕府の湯女禁止後、吉原に移りました。
以前も書きましたが、松浦静山の『甲子夜話続編』によると、勝山が吉原に移り仲之町を道中する時、毅然とした態度で左右を見る事がないと評判になりました。これを聞いた唐犬権兵衛という侠客が「俺が勝山を振り向かせよう」と仲間に約束しました。何をするかと思えば、道中の勝山の後ろに廻り、こともあろうに勝山のマゲの元結を切ってしまったのです。
髪はハラハラととけてしまいました。ところが勝山は少しも驚かず慌てず、近くの茶屋で供の女に髪を丸く巻かせ簪で留め、元通り道中を続けました。
この事は江戸中の評判になり、女どもは競ってその髪型を真似ました。
この髪型は元禄勝山と言い、大きな丸い輪が頭の後ろに巻かれ、その後日本髪の系統の基本の丸髷の原型となりました。一方現代舞妓の勝山の輪の幅は太く、円は小さく纏められています。
もうひとつ現在と湯女の繋がりを見ると、今でも旅館でどてらの様な丹前が提供される事があります。この丹前も丹前風呂からきています。猶、この丹前の由来は、神田堀丹後守の下屋敷前にあった事にあります。
何故祇園祭に舞妓が吉原太夫の勝山を結うのかを説明した物に出会った事はありません。ただ、関西では明治中期に少女が勝山髷を結う風があったので、その名残と考えられます。
さて、都の風呂屋に話を戻すと、元治元(1864)年の『湯屋仲ヶ間九組、株主名前帳』によると、上組五十二株、中組三十一組、下組十九株、川西組二十二株、宮川組十二株、二条組八株、智恩院組七株、粟田組六株、大仏組十六株、合計百五十三株ありました。
この組合制度は明治も続き、明治十二年十一月府県制実施の際、地方税額賦課につき、府より等級設定委員十名を業者の中から選びました。この割り当ては上京区四名、下京区六名、等級一等より四等までの四級にしました。
当時の京都における湯屋業者は、上京区に於て八十七名、下京区に於いて百六名、合計百九十三軒の銭湯がありました。
参照:東西浴場物語、昭和四年、浴場新聞社発行

by gionchoubu
| 2017-05-10 15:14
|
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