花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。
by gionchoubu
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祇園ぞめき その十二
明治以降、神仏分離で八坂神社となりましたが、それまでは親しみをもって“祇園さん”と呼ばれていました。創祀は諸説あります。『八坂社旧記集録』では斉明天皇二年(656)とあり、八坂神社側もこの年を創祀と見ています。
色々難しい事は別のブログや図書館に行って頂くことにして、ここでは遊郭・花街祇園との関連を少しばかり見ていきます。
元徳3(1333)年の『祇園社古図』をみると南大門にお寺の様に仁王様が二体置かれています。これは神家としてスサノオノミコト、クシイナダヒメ、ヤハシラノミコガミがご祭神ですが、仏家として牛頭天王を祭っていましたからに外なりません。
そして、その先の南に百太夫社が描かれています。以前日本の遊女の一つの原型である渡来系の傀儡女(クグツメ)が信仰していたのがまさにこの百太夫でした。
八坂さんとクグツメは結びつかないものの、新羅国牛頭山を含め、百太夫との関連には大きな謎を秘めている様な気がします。又、百太夫社の先を百度大路と言っていましたので、これも気にかかります。
八坂神社の中に美御前(ウツクシゴゼン)社があり、ここに参れば身も心も美しくしてくれるので、一般女子に混じって舞妓さんも訪れるなどと書かれている事がありますものの、私は舞妓さんが詣でるのを見た事はありません。
花街の人が参ったのはもっと北の円山弁天堂で、音曲の神である弁財天女が祀られており、とりわけ祇園花街の妓娼の信仰が厚く、堂の裏の白壁には「三味線が早く上手になりますように」などの祈願が書かれていた、との事です。
また、以前は三絃(三味線)の名手、塩崎くらの奉納した献灯が弁財天堂表門の前南側に、歌人香川景樹の銘があり、最後に「心をも空になしてやかえるらん天つ少女のあまの羽衣」の歌が読まれていたそうです。
八坂神社と祇園の芸舞妓を結ぶ行事に“みやび会”があります。七月初旬に催される井上流の行事で、三世の片山春子から始りました。当世の井上八千代さんと門下である祗園甲部の芸舞妓が拝殿に集い、舞の上達や健康を祈願します。
舞妓さんが毎年新調の浴衣で“お千度参り”として、本殿を一周するのが健気にも涼やかで、艶やかで、多くのカメラマンも、舞妓さんの前に構え、横を追い、結果本殿をぐるり、お千度をしています。
ほんらい“都をどり”は“みやび踊り”で始められる予定でした。ところが踊りの振り付けを担当した片山春子は、みやびの響きが相応しくないとお歴々の人たちを説き伏せ都をどりにした経緯があります。
そしてミヤビオドリを提唱した重鎮らの顔をつぶさないように、請うてみやびの名を自分の会に頂いたそうです。
祇園会の神輿洗いで催された祇園の妓女による祇園ねり物については弊ブログで詳しく書きました。
祇園会の後祭りでは、祇園甲部、祇園東、先斗町、宮川町の舞妓が輪番で、山車にのり町に繰り出した後、舞殿で舞を奉納します。祗園甲部は“雀踊り”を舞います。
その他にも二月の節分、最近では三月の花灯路にも上七軒を省いた四花街による舞の奉納があります。
by gionchoubu
| 2017-04-19 15:45
| 祇園
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