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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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祇園ぞめき その十一

祇園ぞめき その十一_f0347663_12361044.jpg
            八坂神社の疫神社に祇園の幇間丈八と妻の玉垣がありました。


元文二年(1737)年、博望子の『洛陽勝覧』に此辺に太鼓持とて御客を慰る者あり
と書いてあり、以下に続きます。

名寄

桝之屋四郎八 人形出遣ひ思ひ付 人形さわき、上品のそこなり
すぬ庄平衛 上芸万能茶も少し立申候、御好みなれは 国太夫ふしも□よく候
臍本茶平 そろま物真似かほおかしき男にて候
昆布吉 三味線引、旦那をそゝり上る事也奇妙也。其後物まね、
         酒によへは役者物まねもうつり申候

役者物真似の分

大津屋平五郎、同平助、同鳥羽七、同右吉、同十九、同右七、同四ノ二、
       同藤七、同米七

『筆満可勢』(ふでまかせ)は天保六年正月から、翌七年十二月に及ぶ、江戸深川仲町から祇園の太鼓持ちに流れついた富本繁太夫の日記で、当時の祇園の様子が江戸人の目線で語られています。

江戸豊後節を看板に、東北や越後では江戸下がりの芸人として過ごしてきたものの、祇園では「芸者、甚吉弟子、富本繁太夫」として大鶴屋という幇間の見世より太鼓持ちとして座敷に出向きました。

本来、役者、忍者、武芸者のように、者の付く職業は基本男性職で、女性ならわざわざ前に女をつけ、女役者、女忍者のように云いました。ですから、京都では芸者といえば太鼓持ちのことで、江戸で言う芸者を芸妓と言いました。

筆満可勢ほんの一部だけの紹介です。

天保六年一月二十日

此日野様にて祇園井筒へ初て行。花車お里と、娣お里と、娣お咲、娘分藝子お政、手ごとの三味線殊の外能弾、義太夫藝子お市、譽三八、染八、おとせ抔同座にて、浄る里語りし殊の外評判よろし~略

前々回紹介した、井筒の花車(お茶屋の女主人)お里さんが出てきました。


二月二十五日

当所に烏丸通といへる有り。これをカラスマといふ ~略~ 烏丸にルの字入用なれともカラスマといふ。

江戸時代から、烏丸をカラスマと読ませるのは昔も今も、京都人以外は不思議に感じていたようです。

八月吉祥日朔日

此日風にて臥居たるに縄手富美代より返事ある。押て行し所、江戸登の客人なり。見し所高村甚左衛門殿なり。誠に久々、互ひに落涙し暫く挨拶なし。

今の富美代さんで江戸の旧知の人と久々の出会いがありました。

二十八日

此日岸本や亭主利八同道して白水といへる茶やへ五条松様と言客人にて行。芸子大勢、太鼓持三軒見せ不残出て居る。この節券(拳)流行也。此客人太鼓持隙成時分といへば、出て来りて金を五拾両七拾両位持来り、居続して三軒見せの者不残呼集る。座敷繁多の頃は不来。江戸にも余り多からぬ客人也。○○岸本や、五条松様。

忙しい時期には現れず、座敷の暇な時をねらって大散財、太鼓持ちを総揚げしてくれる客の鏡のようなお方です。

十二月十六日

此日三軒みせの太鼓持、祇園地頭所へ不残被呼る。皆々身持悪敷とて、掟書の帳面印行を被取る。

身持ちの良い太鼓持ちは居なかったようです。



by gionchoubu | 2017-04-12 12:40 | 祇園 | Comments(0)