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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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祇園ぞめき その十


祇園ぞめき その十_f0347663_11522286.jpg

祇園甲部、豆純さん

東海の花街に思いを馳せる人なら“二つ一”の事をご存知だと思います。これは舞妓が常に二人一組でお座敷に入る事で、背格好や年も似通った二人の少女は名前も対を成し、ペアならではの踊りを披露したはずです。

名古屋では昭和には姿を消しましたが、浜松では昭和でもこの二つ一は残ったそうです。私は三重の花街跡でもこの話を聞いた事があり、愛知・三重あたりの独特の風習として花街史の記憶の忘却に消えようとしています。

実はこの二つ一(二つ市)は京都、祇園が発生だろうと私は考えています。『新撰京都叢書』の「四方のはな」慶応三年版、を見ると、三桝屋、小力、小かつ、同、力代、力尾、柳屋舞子、まさ鶴、政きく等に二ツ市と書かれています。他に一ツ市などという者もおり、これは良く分かりません。

同年版の他の花街、宮川町・二条新地・先斗町・七条新地・上七軒・北野下森・内野五番町そして嶋原には二つ一は載っておりません。

慶応二年版の「全盛糸の音色」の祇園には二つ一とは記されていないものの、宮菊、宮鶴・鶴松、鶴子・冨菊、冨葉・歌江、歌香など多くの舞子が線で結ばれており、二つ一と思われます。

ただし、明田鉄男著『日本花街史』の資料編には、この二つ一等は限られた紙面の為か省略されているので、興味のある方は臨川書店の版をごらん下さい。

その他、日本花街史で略されているものに、江戸歌=江戸唄が得意な妓、二調=二丁鼓その他、新内(節)、笛、大五(これは分かりません)、シノ(篠笛?)があります。

中島棕隠隠の『鴨東四時雑詞』47の漢詩を見ると

垂髫雛妓巳嬌粧
彗舌又能暗調腔
更結隣家第三妹
樽前軟舞自成双

この最後の詞、酒宴の席のしとやかな舞い、自づから双(一組)を成す・・・二つ一の事です。

さらに、

曲中(花街)、利を逐ふの急なる、雛妓僅かに八、九歳にして、既に歓宴に侍する者有り。皆能く歌舞す。其の価、尋常酒妓(芸子)に半ばす。

或ひは同輩を結び、並び前(すす)んで軟舞(しとやかな舞い)を進む。両人、一人に当たるを以ての故に、相喚んで、両箇一児(二つ一)と作す。

これを見ると、どうも祇園の営業政策の一つとして、二つ一が生み出されたようです。

鴨東四時雑詞が世に出たのは文化、文政の時、名古屋の花街はずっと後なので、東海の二つ一は祇園の風をとりいれたと見て間違いないでしょう。



by gionchoubu | 2017-04-08 11:57 | 祇園 | Comments(0)