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by gionchoubu
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祇園ぞめき その九
文化、文政~天保の改革までの京都町触を読むと、再三に渡り、芸者、茶立女、下女さらに遊所以外の女子に至るまで、衣服、髪、櫛、簪を含め、遊女の様な華美に走るな、とお触れを出しています。
その名指しされた遊女の姿が、ちょうど同じ時代、五渡亭国貞の版画「四条河原白人之行会図」を見ると良く分かります。お揃いの黒の二枚歯の三人の白人(高級遊女)の姿は、皆前帯びを結び、嬌奢以外の何者でもない姿で自信に満ちている様子です。
祇園も結局この時代に遊郭として一つの絶頂期を迎えており、これは江戸、大阪、日本中の風潮でもあり、この繁栄が、堪忍袋の緒が切れてしまった幕府による、天保の遊所整理に繋がったのです。
この遊所整理で、京の廓は島原以外総て廃止となりました。祇園では本茶屋がだめでも、参拝客にお茶や団子を振舞う掛茶屋ならお咎め無しという事で、当時祇園第一のお茶屋、井筒(今の奥田連峯堂の場所)の女主人、お里は井筒を腰掛茶屋にして大評判をとりました。
又、知恩院の休憩所の泰平亭もお里さんが遠忌の際に寄進したものです。
井筒あたりは南座のすぐ近くなので芝居茶屋も多く、現在もその時の屋号で営業されているお店が二軒あります。
その後、嘉永四年に所司代脇坂淡路守により、遊女渡世は、制限付でお構い無しとなり幕末に続きます。
慶応三年『全盛糸の音色』を見ますと、当時の祇園新地名寄により当時の芸妓の見世は、井筒、嶋村屋、若松屋、京屋、鶴屋、万屋、玉屋、井上屋、三浦屋、いづゝ屋、近江屋、三桝屋、ときわ屋、鶴井筒、柳屋、東いつゝ、八尾屋の十七軒
遊女が所属したのは、井筒、嶋むら屋、若松屋、京屋、つる屋、よろつ屋、たま屋、井上屋、三うら屋、いづゝ屋、あふみ屋、三桝屋、とき輪屋、やなぎ屋、東いつゝ、鶴いつゝ、一力、八百屋、尾上屋となります。
芸妓、遊女の屋形で漢字、かなが混同しておりますが、同じ家です。また、遊女のいる家の中で井筒、たまや、いづゝ屋、あふみ屋、三桝屋、一力などは遊女の所属は三人以下で、遊女見世とはいえません。又、尾上屋は芸妓のいない遊女のみの見世ということになります。
そして、遊女と芸妓を兼ねた見世というのが、嶋村屋、若松屋、京屋、万屋、井上屋、三浦屋、ときわ屋、鶴井筒、柳屋、東いつゝ、八尾屋になります。
お茶屋の一力の遊女は、いち、りき、まん、の三人で屋号を背負っています。また幕末史をかざった君尾の名が史実通り嶋村屋にその名を載せています。
by gionchoubu
| 2017-04-05 12:19
| 祇園
|
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