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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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祇園ぞめき その八

祇園ぞめき その八_f0347663_16524783.jpg
           富永町、この当たりに玉屋、三升屋など四軒の見世がありました。

滝沢馬琴の『羇旅漫録』の“祇園さし紙”を読み解く事で当時の遊郭・花街祇園のシステムを私なりに説明を試みます。

「おやまも芸子も見世とうちとは別なり。見世とは江戸にていふ見場也。扇九、一力、井筒など茶屋をたれは何屋と定めおくなり。抱のげい子もあり。またじまえのげい子は、別に家ありて住もあれど客あれば必ずその見世へいふてやる。子ども屋は別にあり、是は祇園中廿七軒に限りて御免なり。

おやまは遊女なので、遊女の見世とうち、芸妓の見世とうちがあることになります。見世は見場、つまり検(見)番で花街事務所の事、大概どの花街でも、一花街につき一検番で、祇園も明治以降はそうなりました。

うちは抱えの芸妓、舞妓が住む置屋の事で、その他、一本立ち(自前)の芸妓も、見世を通してお茶屋に使わされます。

同じく遊女も見世に所属しており、見世に応じて、遊女が多い見世、芸妓が多い見世があり、この見世は祇園では二十七軒が許可を受けました。子ども屋は遊女の置屋のことです。

『近世風俗史(守貞謾稿)』では、見世という言葉を使わず、「祇園置屋の名」としており、

「万屋安兵衛 、井筒屋定次郎、吉田屋平三郎、以上祇園町にあり。桜井屋平太郎、常盤屋寅吉、以上松湯町にあり。井筒屋庄兵衛、玉屋市太郎、三升屋勇蔵、近江屋市太郎、京井筒屋寅之助、以上富永町にあり。井上屋吉之助、京屋喜兵衛、万屋嘉吉、以上末吉町にあり。各々祇園新地の内にして一党に似たり。」

つまり夫々の見世が一党として、見番機能をもったグループを形成した様で、祇園は二十七の小さな花街の集合体であったと私は考えています。

あくまで私の見解なので、見世制度を分かり易く教えていただける方がいらっしゃれば、感謝します。

天保十一年『祇園新地細見図』をみると、祇園町(四条通り北側・南側)には上記の三軒の見世以外に一力、きく新、せん九、井筒、きく新などのお茶屋がありました。

松湯町とは切通しの筋の北の部分で、現在松湯ビルの場所に松湯という湯屋がありました。その他、常盤屋、川竹屋、大黒屋の見世の名が見えます。

富永町は今の富美代さんのある筋で、富美代さん側に西から京井筒屋、玉屋、三枡屋、そして反対側の南側に近江屋がありました。

末吉町の筋には北に井上屋、南に京屋がありました。

尚、見世は祇園独自の制度でなく、大坂では昭和まで芸妓扱席として機能しておりました。『全国花街めぐり』の「大阪花柳辞典」で松川二郎は

芸妓扱席「略して“店”といふ、略(ほぼ)東京の芸妓検番に同じものであるが、東京の如く一花街に一検番又二検番といふ如き統一組織でなく、各店が独立した線香場(花代を計算する所)を有って居ること、例へば南地には二十一軒、北陽(北の新地)には九軒の芸妓扱席がある。但し「扱席」と「貸席」(お茶屋の事)と兼業のものがある、たとえば南地で有名な富田屋、大和屋、河合の如きが其実例だが、要するに経営者が同じと云うのみで、貸席の富田屋と芸妓扱席の富田屋とは元来別個の性質のものである。」

と、この制度を説明しています。



by gionchoubu | 2017-03-31 12:19 | 祇園 | Comments(0)