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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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祇園ぞめき その七

祇園ぞめき その七_f0347663_10141075.jpg
      雪の一力茶屋

寛政二年(1790)年の寛政の手入れから僅か五ヶ月後の同年十一月、祗園町同新地さらに二条新地、北野、七条新地に五年の限りと、島原の差配を受け、島原に口銭を納める事を条件に、初めて売女を置くことが認められました。つまり晴れて公認の遊郭になったのです。そして祗園町と祇園新地は合併して一つの運命共同体になりました。

この五年後の記録は見当たらないものの、文政六(1823)年 の京都の町触に「遊女商売人共義、祇園町、同新地、北野二条、七条新地、右四ヶ所へ先年より差免じ置候後、去る酉年(文化十年=1813)より年限を以て差免じ置候処、今度年限相満ち候ニ付、猶又是迄之通り年限を以て差免じ置候旨」

そしてさらに十年後の天保三(1832)年にも同じ条文が発令されていますので、
1792、1797、1812、1822、1832が更新の年になり、
1797と1812の間に1802年を入れ、更新年度を5年後、5年後、10年後、10年後、10年後と考えると辻褄があいます。

祇園が堂々と遊女渡世を許された翌年の寛政十三年、『祇園細見めい娼都栄』が叶屋喜太郎版元から出されています。これは改正版なので、それ以前も出されているのは間違いありません。ただ私は見たことないので、断言は出来ないものの、こういったものが公認以前の遊所で出されたとは考えにくく、寛政二年
以降に出される様になったものでしょう。

19軒の見世、239名の遊女(おやま)の名が収められており、印には白じん、五ツ(午后八時)泊まり、四ツ(午后十時)泊まり、そして年齢により、本詰、中詰、振袖、さらに印により房中の秘が記されており

「フンスンいふて出す事うけ合」
「スウスウいふて出す事うけ合」
「大至極上上吉の上へきなり」

中には「フンスンいふて出す事うけ合」が三つもついた妓がおり、私には良く分かりませんが、うるさくてしょうがないのでは無いのでしょうか?

見世は一力、井筒店、扇九、三枡屋、うじ屋、京口屋などで、一力にも名山、瀧川、千鳥、紫野など七人の遊女が所属しています。

享和二(1802)年の滝沢馬琴の『羇旅漫録』の“祇園大楼の噂”に「井筒・扇九・一力など座敷広し。客あれば庭へ打水し、釣灯籠へ火を点す。忠臣蔵七段目の道具建の如し。」そして伊勢の古市の妓楼の中で刃傷沙汰(所謂、油屋騒動)があった事を受け、茶屋では刀を刀掛けに掛け、脇差は床の間へ飾り置くようになったと書いています。

そして「本詰めとは、本どしま眉毛なし。中詰とは、中どしまなり。げい子はとしの長少に拘はらずみなげい子と云。祇園町のげいこはうつくしく、おやま(女郎)はおとれり。げい子に勢ありておやまの上座をする。」

“芸子の枕金”では芸子を買う(つまり寝る)事を枕金と呼び、名のある美しい歌妓は二十両~三十両、その次は十両、二十両、いたってあしきは五両、三両で、茶屋を通じてたのみ、ひそかに茶屋で逢うとのこと、仲居や茶屋の娘、舞子も同様だとも記されています。一両を現在の10万円と仮に見積もっても、大変な金額だと分かります。

『羇旅漫録』を読めば、馬琴は超一流のルポライターだった事が分かります。





by gionchoubu | 2017-03-26 10:18 | 祇園 | Comments(0)