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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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祇園ぞめき その五

祇園ぞめき その五_f0347663_11574242.jpg
                       お梶

宝暦頃の洒落本『袂案内』に

祇園町は「客も皆よろしく、或ひは屋敷の留守居なぞ、又は、よろしき町人の小息子、今様の染出し帯幅広、また、其の上に帯の中筋を外の色に継き足し、随分、人に目立たぬやうに長羽織着流し、もっぱら、役者を写し、遊びは、甚だはなやかなり。」

一方「祗園新地、これ又、間を隔てず、遥かに落ちたり。・・・客も又、祇園町より少し劣りて、或ひは小商人の息子、町方の手代、番頭、親方の目を忍び、ひそひそ楽しまる事也。しかし繁昌、祇園町に劣らず、はなやかなる新地也。」

さらに、その先の縄手通りは、茶屋を省略“ほたる”と呼ばれており、夜になると妓が門口にでて来て、往来の人の袖にすがり、肩に取り付き引き止めるような所で、祗園新地より客筋は遥かに劣る、とのことでした。

併し橋(大和橋と思います)を北にわたった縄手は、蛍に比べ、女郎も遥かに上等、ただし京都の地元の人は希で、客は大坂や田舎の人との事。これはここはもう三条大橋の麓、つまり東海道五十三次の終着地で、客は三条大橋周辺の宿屋から商人が遊びに来たのでしょう。かつて三条辺りは宿屋街でした。

もう一つ、京都町奉行与力、神沢杜口(とこう)による、天明年中(1781~1788)に成立したと云われる『翁草』を開いてみましょう。

「芸子と云は、ややよそとせあまり前に初りて、殊に近き世の事なり。余が幼き頃祗園新地はいまだなく、祗園町と知恩院門前の間は郊野なり。~略~是今の祗園新地開たる所なり。其頃の祇園町の繁栄云べからず、町並すべて茶屋にて、他商売店はなし、享保中頃より少し衰て、祇園町に余の商売店出来たりとて、無き事の様に沙汰せり。今は茶屋は残り少に成て、遊妓の廻し店多し」

この文が書かれた年が天明初めなら1740年、芸子が現れたのが、矢張り元文以前という事になります。

ここで、それより少し前の祗園で、花車(かしゃ)呼ばれた茶屋の女将を紹介させていただきます。

先ずは、今の八坂神社南門前の水茶屋松屋の女あるじの“お梶”で、十四の年に“こひこひて ことしもあだに くれにけり 涙の氷 あすやとけなん”と詠み、宝永四年(1707)歌集『可知能葉集』を世に送り、小野小町の再来、和歌の天才と謳われました。

そしてお梶の養女“お百合”も又才色兼備の京女で、歌集『小百合葉』があるばかりか、その筆跡の見事さに、人々は争ってその短冊を手にいれたと言います。

そして、お百合の娘が、池大雅と結婚した玉欄で、絵と書は夫の大雅に、和歌は冷泉家について習い、歌集『白芙蓉』を残しました。

このお梶も玉欄も、時代祭りで見る事が出来ます。

参照:『祗園と舞妓』熊谷康次郎


by gionchoubu | 2017-03-11 11:58 | 祇園 | Comments(0)