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大津、柴屋町ぞめき 二十
柴屋町ぞめき十八で、柴屋町の料理屋、スナック、飲み屋、バー、クラブ等を昭和四十七年の住宅地図から書きだし、この狭い区域にこれだけ密集しているのは大変な過当競争だと書きました。
ところが、昭和五十九年の一月十三日の朝日新聞、滋賀版の「昔の繁栄失う柴屋町、店は増えても客は減る」を読むと、その後も飲食店は、減るどころか増え続け、昭和五十四年の調査で約六十軒だったのが、この年の調査でざっと百軒になったと出ています。
これは、お茶屋や料理店が古い建物を壊し、会館を建て、その中で小さいスナックが開店した事が大きな要因でした。
しかし、店の数に比例して客が増えているわけではなく、柴屋町の飲食店に酒を売っている酒屋の主人にきくと、販売量はここ数年横ばいか、落ち気味、五十五年ぐらいまでは結構忙しかったが、記事の出た時点では流行っているのは十軒に一軒ぐらいとの事でした。
この落ち込みに対する柴山町の経営者側の分析は三つで
一、 何よりも不景気が原因、お客の残業手当が減り、飲みに来れない。
二、 従業員の若い娘が集らない、少しいい子は京都に持っていかれる。
三、 京阪浜大津駅が出来た。同じホームで乗換えが出来るので、客が流れてこない。と言った理由です。
客側の意見は安易な経営姿勢に対しての厳しい意見が多く
一、 どの店もカラオケに客のおもりをさせている。
二、 値段は京都並、中身は場末
三、 二次会、三次会ともなれば趣向を変えたいのに、どこの店も同じ。
山を超え、京都へ行く客はいても、京都から来る客はまず居ない、という事になります。
この後、柴屋町も全国の小都市の花街、遊廓跡と同じ道を辿っています。ある程度の規模があり、県庁所在地という事もあり、斜陽のペースは多少遅くとも、確実に寂れていく運命を帯びていました。
売春防止法施行で遊郭がなくなる→旧免許地が芸妓町の花街に転進する→遊びのスタイルが変り、芸妓で遊ぶ新しい世代が生まれない→芸妓の世代交代も行われず、ますます寂れる→花街は解散する→芸妓がスナックやカラオケ喫茶を始める。
多くの花街跡で、今はこの芸妓がスナックやカラオケ喫茶を始めて20~30年たった状態です。
これが私の見てきた、関西を中心にした、旧花街の辿ってきた道で、この元芸妓達もご高齢、全国の旧花街の番外編も終わりに近づいています。
by gionchoubu
| 2017-02-15 16:37
| 亡くなった滋賀の遊郭
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