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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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島原ぞめき 島原と歌舞伎

島原ぞめき 島原と歌舞伎_f0347663_15183662.jpg
   雪の日の大門

京都の傾城町の太夫がこの浮世に与えた影響の大きいものに歌舞伎があります。

慶長八年(1603)出雲阿国が四条河原(実際は下之森らしい)で“かぶき踊り”を興行したのが歌舞伎の祖とされるのですが、これを受け継いだのが六条三筋(島原の前身)時代の太夫です。

『孝亮宿禰日次記』という本によれば、慶長十三年、四条河原町での興行に数万人の群集が集ったという記録があるそうです。

『京童』に、女歌舞伎の観客は「皆人六根をなやまし、心を六塵をとろかし、宝をなげうち、あるいは父母の養いをかえりみず」・・・あまりの熱狂的な人気が出たため、幕府は、これが体制の崩壊につながると直感して、女歌舞


伎に限らず、女浄瑠璃、女舞などの女性芸能を一切禁止したのです。

禁止されたのが寛永六年(1629)年といいますから、阿国歌舞伎から僅か二十六年目の事でした。

もし、太夫の芸が、民衆を狂わす程のものでなかったら、現在の歌舞伎は全く違う形式をとっていたはずです。

『色道大鏡』の名目抄、人倫門に、「出雲巫といふもの京に来り、僧衣を着て鉦をうち、念仏踊といふことをせしに、其後男の装束し、刀を横へ、歌舞を尽くせり。俗に是を哥舞伎といひしなり。是より事起りて、元和年中より、女哥舞伎はじまり、其後傾城の能をも催せり。先ず佐渡嶋が大哥舞伎、道喜、若女郎などいふ座あり。其中の傾城に、芸の堪能なる者を選み出して太夫と称せり」

ですから、遊女の最高峰が島原太夫は、浄瑠璃、常磐津、清元、文楽の太夫と語源は一緒で、遠い親戚筋のような関係です。

宮本政夫著『京都南座物語』によると、京都で歌舞伎禁止令が出たあと、寛文九(1669)年に再び興行権が認められた頃、「島原狂言」と呼ばれ狂言がありました。

これは遊里の客が、最先端のファッションで、橋がかりから登場すると、観客は「そりゃ買人の名人が出たわ出たわ」と大騒ぎ、道化方の揚屋の亭主が出ると「あの顔を見よ、おかしや」と笑い出す。やがて傾城にふんした女方が登場。買人とのやりとりの後、踊りをみせる。といったものだったとの事でした。

京都新聞社『名作散歩歌舞伎と京都』にいると、傾城壬生大念仏は備後の国主高遠家の世継ぎ民弥が島原の傾城にうつつを抜かして国を捨てて行方不明になったところから御家騒動が起こる・・・まさに傾城であります。又、傾城反魂香に六条三筋町、けいせい黄金鱐(こがねのしゃちほこ)、桜時廓美談、高雄宮本地開帳に島原の場面があるそうです。

もう一つ、以前にも書きましたが、助六は元和時代、京都の中京区にいた実在の侠客で、当時の容色才芸ともに秀でた総角(あげまき)という六条三筋時代の太夫と浮名を流し色んなエピソードを残しました。これを江戸に舞台を移し脚色されたのが歌舞伎の『助六由緒仇桜』なのです。総角は揚巻とも書くので、江戸っ子のしゃれっ気でおいなりさんと巻寿司の折り詰めを“助六”と呼んだというのが由来になりました。




by gionchoubu | 2017-02-11 15:22 | 島原遊郭 | Comments(2)
Commented by hiroshi_um999 at 2017-03-01 23:48
昭和62年だったと思いますが、三宅坂の国立劇場で
紙子仕立両面鑑を見ました。
大好きだった13世片岡仁左衛門さんです。
この芝居、上方の芝居ですが、助六揚巻が出てきました!
Commented by gionchoubu at 2017-03-02 12:43
> hiroshi_um999さん

コメント有難うございます。貴重な情報有難うございます。

江戸時代、歌舞伎役者は祇園の座敷に上がれませんでしたが、これは役者さんは魅力充分、大切な芸妓が抜かれるのをお茶屋が恐れた側面があるかもしれませんね。
明治以後の花街と梨園の仲の良さは御存じの通りです。
私は、南座が目の前にあるにもかかわらず、希にしか御邪魔しないのですが、15世片岡仁左衛門さんを目の前にした時、浮世絵から飛び出てきたのではないかと思いました。