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by gionchoubu
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大津、柴屋町ぞめき 十五

先週、週刊ポストで特集があった、昭和三十年発行、渡辺寛著『全国女性街・ガイド』の大津の欄に
“琵琶湖を売物に発展を目論んだ大津市は案外のさびれ方で、よい芸者は京都からよそ行き<遠出>をつけてやってくる。花街は柴屋町で芸者は二十九名。花代は四百二十円である。
赤線は下柴屋町にあって「赤い灯」をつけた湖楽園系が六十八名。「青い灯」をつけた寿倶楽部系が六十四名。店は五十九軒ほど。”
が総ての記述となっています。
『新大津市史 下』によれば、戦前二百名から三百名いた芸妓は戦時中の統制によって廃業したり、帰郷しており、戦後は二十名をわってしまい、戦前の客筋とかわって、キャンプに出入りして工事、その他に従事するものが多く、オフリミッツの地域としてアメリカ軍兵士は来られないのがたてまえであったが、禁をやぶって廓にかようものも少なくなかった、と書かれています。
そして売春防止法施行直前、下柴屋町に業者約百軒、芸妓二十五名、酌婦約百名がいたと、『全国女性街・ガイド』の数字より、数年の誤差が有るとは言え、そこそこ違う数字に関して、私には確認の方法が見つからないのが悩ましい所です。
現在柴屋町に住み、おじいさんが元貸席業で組合長だった方に直接聞き取りさせて頂いた所、グループは「青い灯」と「赤い灯」でなく、「青い灯」と「白い灯」で青い灯の一派は、おねえちゃんへの歩合が少なく、白い灯の電気が灯る所は、おねえちゃんの取り分が多かったとの事、さらに疑問が広がってしましました。
さて、売春防止法発効する昭和三十三年四月の前年の十二月、芸妓を主体とする業者十五軒が組合を離脱、大津花街組合を立ち上げました。さらに、これより先、芸妓と酌婦とを区別する為に、芸妓に試験制度を設け、試験は柴屋町歌舞会が行う事にしました。
そして運命の四月一日の一月前、柴屋町で湖楽園三階に両派の業者が集り、解散式を行いました。
売春防止法発効時、接客婦は七十三人で、全員が帰郷、しかし業者は滋賀日日新聞の記者に、「二・三年で取締りは緩和されると考えている」と語ったような考えを持つものも少なく有りませんでした。そして湖楽園役員会では九州方面に業者を派遣して女子従業員を募集しました。
前回の社説、“一部の小料理屋などが必要以上に多数の仲居、女中のたぐいを抱え込み、中には遠隔地まで「玉を買いに」出かけているものもあるようで・・・”
という部分はこの事を指すものだったのでしょう。
追記:少し前、英吉ねえさんの“今の丸信さんのとこに梅の屋という女紅場がおした。”の情報と、昭和四十七年の地図のマルシン洋品店の場所と同じところに、大正の地図にも梅の家と書かれているので、梅の家=梅の屋=女紅場書きました。
その後、新修大津市史5に上柴屋町の梅の家席は寄席であると書かれていました。先ほどマルシン(現マンション)並びの大和家さんに確認すると、芝居小屋との事。総ての情報は信頼できるものと思いますので、答えが導きだせない状態陥ってしまいました。
by gionchoubu
| 2017-01-23 11:57
| 亡くなった滋賀の遊郭
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