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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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大津、柴屋町ぞめき 十二

大津、柴屋町ぞめき 十二_f0347663_14103109.jpg
柴屋町女紅場“梅の屋”(大正の地図では梅の家)、その後、丸信になり、現在マンション。
隣がお食事処の大和屋さん。

それでは柴屋町の“英吉ねえさん”の回顧談の後編をお贈りします。

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昔の芸妓は芸も仕込みましたがお酒も鍛えたもんどす。“酒に負けては芸妓が勤まらん”いって、そうどすな、私なんか七つの時から一日一合か二号飲んで練習しました。

おかげで一升酒になったんどすが、金屋の庭は広かったので、飲みすぎたら朝早う起きて、タビはだしで庭を走ると気持がなおる。

そんなことでなんぼでも強うなってしもた。

大阪のある会社の方が、来やはると豆腐がすきで、坂本の三橋にモミジ見物は豆腐と酒だけ持って行ったことがおす。

昔のお酒は悪かったなァ。軍人さんに呼ばれて行くと白鶴がよく飲めた。この八十八の年になっても毎日一合か二合飲んどります。

酒を飲むとコタツもいらんし、気も晴れる。酒がないとさみしゅうて、ジッと引き込んでしまいますのや。

四、五年まで一升飲んでも平気で、八十年の間に酔いつぶれたことはおへなんだ。

私の芸のことをいうとおかしおすが、金屋は芸がやかましゅうてな、私の専門は三味線どす。

長唄、常磐津、清元もやり、少々の踊りもできたが、三味線がやっぱりええ。若いころ検番にお師匠がきやはりまっさかい何でもケイコせんなりません。

私の仕込んだ妓もぎょうさんいやはりましたが今出ている人はだれもいまへん。こんなこというの、なんどすが今の芸妓はなってないし、また気の毒どすな。

お客さんにどこへ連れて行ってもらうちゅうこともおへんし、芸妓を温泉へでも連れて行こうかという気のきいたお客もおへんやろ。

あのころはたいがい自前で奉公人の芸妓は少なかった。借金を負うた奉公人でも、よいダンナをひっつかまえるとじき自前になる。

芸の仕込みがきびしかったし十二くらいから仕込んだもんで、年寄った奉公人の妓はどこも置かなんだ。

そのころのお花が一本十四銭。それは私がでてやから明治二十五、六年ごろどす。一昼夜四十四本から四十六本で千本売る妓は、よう動く妓どした。

揚屋がなんでも花一本について二銭くらいの時代どす。それで芸妓の手取りが八割くらいで、残りを検番と置屋が取ったんどっしゃろ。お米が一カマス二斗五升が高うて二円五十銭くらいどした。

芸妓の世帯持ちは気が陰気になっていかんいわれて、私はお針も習わなんだので、今の年で難儀しています。

三十一で世帯をもったんやが割木がなんぼや初めて知りました。のんびりとしとりましたんや。“芸妓は金のこと考えんでもええ”いうて教えられましたんや。

借金があるほどかいしょもんといわれました。お客に“なんぼなんぼ借金があるのどす”というと、だまって払ってくれやはりました。

千円のお金を持てば小金持ちやと評判になったくらいで、お金をためた妓もいやはりましたが、たいがい旦那に家の一つくらいもろうたらええ方で、芸はできてもお金はないというのが普通どしたやろ。

柴屋町の芸妓は半センコで、九つくらいから十二くらいまでで一本になったが旦那をとらせたのは、まァ十五どすな。

芸妓の一番油の乗りきるのは二十一、二から二十五、六、おそくて七まで。“顔がよいと芸がにぶる”とはよういうたもんで、顔がようていばった妓には芸で恥をかかしたもんどす。

芸妓の世界は意地悪いもんどすえ。

それで年上の芸あるものは大事にしてもらうた。年増芸妓の苦労は舞妓をオンバ(お客に世話すること)することで、よいお客だとオンバもよい。本人の舞妓はいやがるが、物を買ってやってエサでつる。

相方が“ねえさんにやってくれ”ということで、年増芸妓にもうるおうてくるのどす。

ようなびく妓もあったがいやがっていうこときかんのもいた。芸一本の芸妓だとなんといっても客をとらんのや。

大阪では一ぺんに客を三人とるようでないと一人前でないというてはるが、大津ではそれほどキツイこともいわなんだ。

一現はしなんだが、知った人がよい客をつれてくると、どの妓をひっかれようかと十人くらい芸妓をみせて相方をつけるのどす。

芸妓の軟派は客をとるが、硬派はとらん、頼み頼んで、くどき落すのどすが、よい客やとおしいというのが郭商売の苦労どころどす。

マクラ金は花代十四銀のころ、よい芸妓で二十円、悪い妓は三円から五円、飛び切って五十円、そんな妓もいた。

そんなことでよい客だと二、三年続かすのどすが、マクラ金は一割が置屋へお礼して、そのあとは腕次第どした。

お客にお金で無心をいわんで、着物を買うてもらう妓があるが、これが賢いのどすえ。

着物ならお茶屋への礼はいらんし、自分が自前になった時に楽になるという考えの妓もおりました。

柴屋町の昔の舞妓の水揚げは安おした。五百円くらいどしたやろ。

今は大阪あたりでは五十万円、百万円の声もききますが、私らの古いもんの考えではお客の筋が問題で、なんぼお金を積んでも、よいかげんな客にはきかんのがあたりまえ。

舞妓というても旦那をつけるのは嫁入りさすようなもんどすさかいなァ。

まァ、これは昔の芸やお茶屋の裏話どすが、やっぱり芸妓の本職は芸どす。今の柴屋町では芸を見分ける人もおへんやろ。

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戦前の話しとして、と断りを入れますが、娼妓は客をとるが、芸妓はとらない、というのは一種のファンタジーで、松川二郎の『全国花街めぐり』でも、芸妓の枕金を特別祝儀という表現で全国の花街の芸妓に対する特別祝儀を載せています。

同書の京都の項の総記で、女郎屋に縛られる“居稼ぎ”の娼妓は別として、京、大阪などの「芸妓・娼妓両本位」の遊郭で、所謂比較的自由な“送りこみ”制度のもと芸妓をしていた大阪の娼妓が

「芸妓さんほど着物にお金が出なくて、収入は変りませんもの。それに芸妓だって娼妓だって、することは結局同じことなんですもの。」

ただし、娼妓は取るお客を選べず、芸妓の客は基本、ある程度以上のステータスがあり、芸妓側の自由意志の部分も有った・・・という違いがあるでしょうが・・・

この新聞記事の存在を文庫で教えてくれた『艶本紀行 東海道五十三次』の林美一さんによると、柴屋町の老名妓英吉さんは、この思い出話が新聞に載った十日後八十八で亡くなられたそうです。

今一度、最初に戻ります。

「私は京都の生れで、六つでここへ子供に来たんのんですさかい柴屋町で八十二、三年生きていることになりますやろ。

耳が遠くなって、目もうすうなり、もうあきまへん。

知ったお方はみな死んでしまはって、独り残されました。」



by gionchoubu | 2017-01-16 14:28 | 亡くなった滋賀の遊郭 | Comments(2)
Commented by 植松 at 2017-01-22 20:13
林美一さんは大映で閨房の風俗の考証をされていたそうです。
Commented by gionchoubu at 2017-01-23 11:37
> 植松さん

林美一さん、独自の視点と、鋭い考察で、私も大変参考にさせて頂いております。