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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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大津、柴屋町ぞめき 十一


大津、柴屋町ぞめき 十一_f0347663_16134115.jpg
小島屋→(料理旅館)大津会館→ビジネスホテル大津会館→現在は営業しておりません。



昭和三十三年二月十六日と十七日の滋賀日日新聞のシリーズ『消えゆく赤線地帯』の七、八に載った「県庁芸妓、おせん “玉のコシ”はなかった」は明治、大正、昭和の八十年に渡って、柴屋町の“英吉ねえさん”として芸妓生活をここで送った、当時八十八歳の若山タミさんの四方山話がとても味わい深いので二回に渡って紹介させて頂きます。

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私は京都の生れで、六つでここへ子供に来たんのんですさかい柴屋町で八十二、三年生きていることになりますやろ。

耳が遠くなって、目もうすうなり、もうあきまへん。

知ったお方はみな死んでしまはって、独り残されました。

柴屋町もすっかり変ってしもうた。昔の面影がなくなったは惜しいこっちゃ。

上柴は女ばかりで、物いうのに男気がなかったのでこんなことになったんや。

昔は車ひきが“ここが大津の柴屋町どす”といわはったくらい盛んやった。小島屋はんの先代(谷口弁二郎氏)でも生きてはったら、こんなことにならしませんでしたやろ。

私は六つからケイコして十八の年に金屋からツマをとった(芸妓になる)が、はじめて出たのは十四ぐらいどした。

私はブッチョウヅラやから“あの人芸妓にでやはるのか、こわい人やなァ”といわれました。

やめたのは六十四、五だったかいな。“もっと出とい”といわはるがイナカでは年よりの芸妓買わはらしまへん。

しかしなじみはよいもので七十くらいまで私のようなおばあさんを呼んでくれはりました。

そうどすな、昔の柴屋町は上(柴屋)も下(柴屋)も一緒どしたが、ぎょうさん娼妓ができたので上と下に別れたもんどす。

角に門がありましてな。ちょうど島原の角屋の出口の柳のような大きい柳があったことをおぼえていますが、いつのまにか門も柳もないようになりました。

そのころお茶屋では金屋、橘屋、今のうどん屋はんの五、六軒が富永屋のあとで、小稲半兵衛が心中しはったとこや。

半兵衛は呉服屋の手代やといわれてますが、本当は富永屋のオトコシどした。

三階で死にはったが、その部屋へ物をとりに行くと白ヘビがでるいうて、やかましいことどした。小稲はオヤマどす。

小島屋は今の大津会館のとこでちっちゃい茶屋でした。

金屋が一番大きうて、おじいさんが遊芸がすきで、今の丸信さんのとこに梅の屋という女紅場がおした。

金勝、金茂?、金たね、品良というよい舞妓がいやはって、仲居のひいきどした。

そのころ、金屋のおじいさんが、舞妓を十人そろえて出さはりましたし、柴屋町では若手芸妓が九十七人いやはりました。

金繁のおやまさんは不細工やったが、しっかりした人で度胸があるえらいもんどした。

その金繁はんに吉勇というよい芸妓がいやはったし、小島屋のおせんさんもよい芸妓で、ええ客ばっかりひかはった。

四ノ宮の郭にもよい妓がいましたなァ。県庁ができて、柴屋町に移ってきやはりましたが、あのころは大したもんどした。

大津によい芸妓がいるというので、よい客が多かった。

江頭の井狩さん、八幡の西川さん、彦根の前川さん、みんな今の人のお父さんどすが、よう遊ばはりました。

下郷さんがきやはったらお殿様のように金ぶちまでかざったりしました。

県庁の人もよう遊ばはりました。知事さんの川島さん(純幹)のころも遊ばはったが、中井さんの遊び方はちょっとちがう。

陸軍の九連隊でも偉い人がいやはった。内藤連隊長のころや。大きい宴会で、みんな若い芸妓にお酒を飲してよろこんでいやはったがみんなヘベレケになったもんや。

そのころ長浜から船で夜の一時ころ浜大津の大湖社へ着かはったが、今のように芸妓が駅に迎えにゆくようなことはせず、お茶屋で待ったものどす。

小島屋のおせんさんは中井知事さんのヒイキで県庁の芸妓ちいうたぐらい。下郷さんの相手もこの妓でした。

しかし、大津では玉のコシに乗ったいう芸妓はいまへんな。

金繁の吉勇さんはとても賢い妓で、芸妓はだれでもお金にほれるもんやが、あの妓は芸だけで有名な、それはよい芸妓どした。

お客さんが吉勇はんを一ぺん見たら、必ずまた訪ね“吉勇をなんとかならんか”とだれでもがあたりをつけはるが、これにはみんなが困ったもんです。

紅葉館に踊りの名人の猿之助はんが来て、踊らはったら、その地方をしらん顔してやってのけたくらいの腕で、そんな芸妓はちょっとおへん。

それだけ芸一本で、ようできた妓でしたが、ダンナと一人の子供に死なれ、またよそに嫁入れして、ママ子で苦労してやはる。

オヤマは別ピンでないといかんが、芸妓は顔がようても芸ができて、かしこないとあかん。

とにかく昔の柴屋町は楽しおした。みんなよう飲んで、お客ものんびりしてよう遊ばはりましたからなァ。

でも今の柴屋町はもうつぶれてますさかいあきません。

・・・次回に続きます・・・






by gionchoubu | 2017-01-12 11:49 | 亡くなった滋賀の遊郭 | Comments(2)
Commented by 植松 at 2017-01-22 20:17 x
名妓・勝喜代さんも80代までお座敷に出てはりました。

お座敷の洒脱な踊りやお座敷遊びは私が録画しています。

何かの機会に見ていただきましょう。
Commented by gionchoubu at 2017-01-23 11:41
> 植松さん

是非拝見したいものです。どこかの喫茶店ででもイベントされたらどうでしょうか?
告知はブログでさせて頂きますので・・・