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大津、柴屋町ぞめき 七

f0347663_13561511.jpg

私は以前、江戸時代は遊郭に寛容な時代で、明治時代はこれに対し厳格なイメージを漠然ともっていました。ところが実際は逆の様で、藩も幕府も、風紀の乱れから体制がくずれるのを恐れ、どこの藩でも遊郭に対しては厳体制で向かい、幕府も、少なくとも表向きは、遊女渡世に対し、厳しい態度で臨みました。

一方、明治時代になると全国に公の遊郭が続々誕生しました。大津柴屋町も、娼妓開放令から僅か二年後の明治七年に、金屋半兵衛に遊女屋を興すことを認めたのです。

当時大津で、外客誘致に相応しい施設が必要で、その目的を満たす“開化楼”の建設が進められ、経営者である柴屋町の代表は、建設借り入れ金の返済手段としての遊郭経営を願いでた所、当局はあっさりとこれを認めたのです。

その後、明治十四年に柴屋町は上下に別れ、上柴(上馬場)は芸者町となりました。

明治十八年頃の大津署調べとして

上柴18軒、下柴21軒の業者、大津全体に他の遊郭併せ99軒に芸妓124人、舞子3人、娼妓135人がいました。

明治三十九年には

上馬場町 貸座敷16、 芸妓20、 娼妓0

下馬場町 貸座敷54、 芸妓14、 娼妓65

上馬場町が花街なのは明白です。

S33滋賀日日新聞によると、明治時代は日本売春史の最盛期であり、大臣、参議、宰相、大正が、英雄色を好むと、権力、金に不自由なく東京、京都の遊郭で遊び、この風潮が廃藩置県の全国に伝わりました。

この時代、大津でも県知事以下、部長などの高官は皆柴屋町に繰り出し、“遊ばざるものは政治を語るな”と言われるぐらいに豪遊を繰り返しました。

その中でも三代目、桜洲中井弘知事は遊蕩児ナンバーワンとされ、郭の主人から一筆頼まれたとき、遊興で近江八景、吉野懐古の詩を書きなぐった迄は良かったのですが、落款の印に滋賀県の印を押すという無茶をした事がありました。

これの詩は二つ折りで小島屋に秘蔵されていた、との事なので、今でも残っているかもしれません。

S33滋賀日日新聞に、この書が二枚屏風になった写真が載っています。



by gionchoubu | 2017-01-01 13:58 | 亡くなった滋賀の遊郭 | Comments(0)