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大津、柴屋町ぞめき 三

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                     四ッ辻の立派な鍾馗さん

『近江輿地志略』(『新大津市史』収録)は、柴屋町の由来について、

「抑此町を柴屋町といふ事、古来の称にあらず。本名は馬場所といふ。或云ふ、柴屋町とは古薪を売る者多く此地に住す故に名付くと。或云ふ、さにあらで。彼遊女三味線を弾き酒を勤むる間戯言し、笑を作って遊客を悦ばしむるをさして焼くといひ燃するいふ。夫薪柴は焼き燃やすの謂也と。或は云う、恋慕の心をたきつくる意也と、」

こういった、情緒が感じられる説を見ると、自ずと、柴屋町がただの遊女町でなく、品格をもって受け入れられていた事が分かります。さらに本来の馬場町の起源を、

「享禄の頃、佐々木京極家の侍に青地市右衛門といふ者あり。軍術に妙あり。毎度の戦功比類なし。大津の近郷を拝領して今の柴屋町の地に馬場を設け、桜を植えを支へて己が騎射の楽み所となる。」

「然して後、鍵屋又右衛門といふ百姓、此地に於いて竊(ひそか)に遊女をおき、花の頃は来客を受けて必遊宴す。後には又右衛門、市右衛門へ願を遂げ、軒を並べて繁昌す。」

「然して後、慶長年中あらたに訴訟をとげ、台命を蒙(こうむ)りて傾城町とす。上下二町あり。毎年十二月二十日大帳開とて町中の揚屋、くつわや寄合いて事を談ずとなむ。」

「或云ふ、馬場町といふは京極高次の馬場ありし地にして、鍵屋又右衛門と云ふ者乞ひ請けて傾城廓となしたりといへり」

林美一『艶本紀行 東海道五十三次』によれば、西国の大小名が参勤交代の途次本陣に泊まると、酒席の相手に柴屋町の遊女たちが招かれ、長柄の傘をさし、道中をして本陣に乗り込んだとされます。

柴屋町の客はこのような参勤交代の大小名の侍たちが最も多く、次いで大津が近江米の集散地で諸国の蔵屋敷があったために、毎年九月から翌年二月まで、取り扱い役人や仲仕、蔵米の払い下げを許された大津の商人たちなどが、振舞と称して羽織姿のまま柴屋町へ繰り込み遊んだといいます。

『日本永代蔵』貞享五(1688)で井原西鶴は

「この所は北国の舟着、ことさら東海道の繁盛、馬次、かへ駕籠、車を轟かし、人足の働き、蛇の鮨、鬼の角細工、何をしたとて売れまじき事あらず。
近年、問屋町、長者のごとく屋造り、むかしにかはり、二階に撥音やさしく、柴屋町より白女(遊女)よび寄せ、客の遊興、昼夜の限りもなく、天秤の響きわたり、金銀も在る所には瓦石のごとし。」

これらの記述は、柴屋町遊郭が日本四大遊廓の一つとして、充分過ぎる程の歴史と資質を持っていたことを如実に物語っています。



by gionchoubu | 2016-12-23 10:52 | 亡くなった滋賀の遊郭 | Comments(0)