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by gionchoubu
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大津、柴屋町ぞめき 一


京都の島原、江戸の吉原、大阪の新町を称して日本三大遊廓といいます。これが四大遊廓となると、上記の三箇所に、長崎の丸山、伊勢の古市、もしくは大津の馬場町のどれかを付け加えました。
馬場町の遊里は延宝六(1678)年、藤本箕山が『色道大鏡』の中で「日本遊廓惣目」として挙げた全国二十五か所の有名遊里の一つとして記述がありますので、紹介させて頂きます。
近江国大津遊郭 馬場町
「大津の遊郭は、世に柴屋町といひはし侍れど、馬場町なり。
柴屋町といへるは、遊郭の外下の一町をいふ。柴屋町は、むかし比良・小松わたりの柴を船につみて、爰(ここ)につけてうりたる所なれば、かくいへるなるへし。
抑々(そもそも)江州大津は、帝城を去ること三里、その昔天地帝此所に宮づくりし給ひて、大津宮と申奉りき。
台嶺巍々(たいれいぎぎ)とそびへ、前には湖水洋々たり。所謂大津八町は、都より吾妻におもむく、最初の旅館にして、人馬道路につどひ、往還こゝにしげし。
あやしの出女までも一ふり見えて、恋のしるへなきにしもあらず。」
「大津の傾城、郭中の外へ出ず。天職二十六匁、小天神二十一匁、圍職十六匁、青豆十匁、半夜八匁也。昼隔子(こうし)なし。昼かしなし。夜見世あり。
夜隔子(よごうし)、酉下刻暫時也。夜隔子過て、目利所望の客あれば、其家の内に燈を立、傾城を出す。挙屋の数合十軒、客入に腰物預る。郭の入口四方にこれあり。客の出入昼夜くるしからず。
当郭の傾城、先年は八町の旅館までも出しぬれば、旅人一宿の便ちかく、且洛人おもひよりて、かよう輩も郭中の挙屋をさしをき、八町にのみ宿しければ、其賑ふ事かぎりなし。
されども、いつぞの比よりかは御制禁にて、傾城郭外へ出ず、所に住馴し傾城長も家をさり身を退きなどしてさびわたりたる体。むかしの五分の一もあらず。
凡大津傾城は、物ごとおほやうにて、伏見よりは少まさりたるやうにありつれとも、今かくをとろへたれば、いづれをいづれとわかちがたし。
臥見(ふしみ)は京にちかけれど、其かはりに所の遊客にさせる勇士なし。
大津は京の客たよりに成がたけれど、他の客に折々勇士たえず、傾城も人の口に出る者、二人三人宛ありき。然れども、頃年は他の客も心はたらかず、よき傾城もなく成ゆけば、所の風俗とてしるすべき品もあらず。筆の行衛もさだめがたし。」
by gionchoubu
| 2016-12-17 11:50
| 亡くなった滋賀の遊郭
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