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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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偽太夫問題

偽太夫問題_f0347663_13093466.jpg
                        輪違屋

偽舞妓、偽島原太夫・・・これは舞妓変身や太夫体験の事ではありません。

舞妓体験も祗園で業者が店を始められた頃、花街からクレームがあったのか、変身した舞妓さんが祇園町を散策する折など、こちらは変身舞妓さんです・・・的なプラカードをもった業者の人がついて歩いたりしていました。

こういった業者さんが節度をもって、一般の方に舞妓・太夫体験で夢を見ていただくのは・・・時に妙齢すぎる奥方が舞妓姿で通行人をして驚愕せしめる場合を除いて・・・私個人として全然OKだと思います。

ただし、舞妓、太夫に扮した人が、舞妓、太夫として、お茶屋に上がることは考えられませんが、料亭、ホテル、旅館、さらにイベントなどに現れ、お商売されるにいたるなら話は別です。

これも随分昔の事になりますけど、舞妓さんと称する女性をつれた方が、こういった座敷に現れることがありました。主に修学旅行の旅館に現れ、一曲のみ生徒の前でテープで踊らせ、かんたんな生徒からの質問コーナーを受け、20分ほどで帰っていきました。料金は最後には3万5千円まで上がったと記憶しています。

舞妓さんに扮された方は大変お綺麗で、素人さんでは見分けがつかない出来栄え、当時は京都全体で舞妓さんの数も少なく、そこそこ需要があり、私も何回か使いました。

さて、本物か、偽者か、それを判別するのに鑑札の有無があります。祇園でも宮川町でもお茶屋さん、置屋さんとも、必ずお茶屋の鑑札を掲げます。鑑札とはいわゆる免許で、これがないと営業は出来ません。

舞妓さんは置屋さんの住み込みとして、またその置屋さんから芸妓になった人もこの鑑札の元、芸妓さんとしてお茶屋、料亭、旅館に入り、イベントにも参加できるのです。

この置屋さんから、自前の芸妓さんとして独立した場合(*独立してお茶屋業をする場合です。2017、6月9日付記)、この芸妓さんは新たに鑑札をとる必要があります。

お茶屋や芸妓にとって鑑札は命のように大切なものです。

島原の現在ただ一軒お茶屋鑑札で営業しているのが輪違屋さんで、こちらも同じく輪違屋さんが手塩をかけて育てた、現在、花扇太夫、若雲大夫、如月太夫、薄雲太夫、桜木太夫の五人のみが島原公認太夫になります。

これは私が現在の十代目輪違屋のご当主から直接きいていますので確かです。

つまりこの五人以外で太夫を称している人は、鑑札が無ければ違法ということになります。そして鑑札の無い太夫を名乗る人を島原太夫として呼ぶ場合、違法に加担して、かつ冗長させている事になります。

運転免許がないのに車を運転すれば処罰を受けるのに、なぜ、こういった太夫さんを騙る方が取締りを受けないかというと、警察も忙しくて、さらに社会を揺るがせる訳でもなく、いわば世間から大分離れている所で起きている事として、まあ、野放しになっているというのが実情の様です。

色々見聞きするに及び、私に出来るところとして、この問題に微力を費やさせて頂くつもりです。

まあ、効果は期待できませんがね・・・



by gionchoubu | 2016-11-07 13:12 | 島原遊郭 | Comments(20)
Commented by 今紫 at 2016-11-09 09:51 x
おはようございます。
偽太夫問題は以前から存じておりますが新聞を発行している某太夫自身が「偽者」だったとは思いもしませんでした。その事実を海外に日本文化を紹介する某プロデューサー氏のインストグラムで知り驚き、今も変わっておりません。各花街の方も一部存じているようです。
なんと言葉に表してよいのかわかりかねます。
Commented by gionchoubu at 2016-11-09 12:58
> 今紫さん

今夏に私が入っている会で、輪違屋さんより、桜木太夫さんにお花をつけさせて頂きました。さらに輪違屋さんより太夫をお迎えする企画も交渉させていただく予定です。

吉野太夫花供養、夕霧祭は輪違屋さんから出るので大丈夫です。
Commented by 植松 at 2016-11-10 03:38 x
お茶屋組合、検番が無くなったので、
何が正しくて、何がモグリかもよくわかりません。
Commented by 植松 at 2016-11-10 03:47 x
花代は同じ街のなかでもお茶屋によって違いがあります。
というのは、友人に聞いてみたからです。
宴会花、あと花、買い切り花。
幸い私は友人よりかなり安いことがわかりました。
Commented by gionchoubu at 2016-11-10 10:58
> 植松さん

本来お茶屋組合が対処すべき問題なのですがね。

現役では如月大夫、薄雲大夫、桜木大夫の3人が伝統を受け継いでいます。
Commented by gionchoubu at 2016-11-10 11:22
> 植松さん

大変喜ばしい事と思います。花代は(一人で行くそこそこしますけど)数人で行ってあと花なら、リーゾナブルと思います。
Commented by narahimuro at 2016-11-11 19:58 x
偽太夫の話、とても、興味深く読ませて頂きました。
そう言えば、平成8年ごろ、甲部の芸舞妓5人が
屋形を抜けて、「舞妓の館」なるものを立ち上げて
ホテルや旅館に出演して居た事がありましたね、
Commented by gionchoubu at 2016-11-12 11:13
> narahimuroさん

コメント有難うございます。事の詳細は、離脱された方の視点で『舞妓の反乱』という本で詳しくかかれています。
当時、私の所も「舞妓の館」から案内が来ており、その後すぐ祇園甲部の方から、もし「舞妓の館」を使えば祇園甲部から今後一切お付き合いは出来ません、という通達がきました。
経緯をみていると、すぐ「舞妓の館」が立ちあがった事、出版がタイミング良くあった事、などから反乱が側の後ろで手を引いていた人がいたと思います。
尚、その反乱側の舞妓さんの一人が銀座でホステスさんとしてブログをされています。
Commented by 植松 at 2016-11-13 23:37 x
その偽太夫さんのブログを読んでみましたが、
話になりませんね。
自称というか自己都合を押し通されています。

島原のお茶屋組合、検番があれば、
そこを通さないものはモグリということが明確なのですが。
Commented by gionchoubu at 2016-11-14 11:19
> 植松さん

1 この条例は、風俗営業取締法の一部を改正する法律(昭和34年法律第2号)の施行の日から施行する。

(経過規定)

2 この条例の施行の際、改正前の条例の規定により公安委員会が行つた許可、許可の更新その他の処分で、現に効力を有するものは改正後の相当規定によりなした処分とみなす。ただし、改正前の規定により貸席として許可された者は、改正後のお茶屋の許可を受けたものとみなす。

3 この条例の施行の際、改正前の条例の規定により公安委員会に対してなされた許可の申請又は届出は、改正後の相当規定によりなされたものとみなす。

4 この条例の施行の際、現にお茶屋(附則第2項の規定によりお茶屋の許可を受けたものとみなされたものを含む。)、料理屋、カフェー、酒場、ダンス教授所及びまあじやん遊技を業とする遊技業を営んでいる者に対する第17条の規定に基く構造の基準については、この条例の施行の日から3箇年以内は、なお、従前の例による。

5 この条例の施行前において改正前の条例に規定されていた事項に違反したことを理由とする営業の許可の取消、若しくは営業の停止その他の必要な処分については、この条例に当該事項に該当する事項が規定されていない場合であつても、なお、従前の例による。

京都府の条例ですが、情報を伝えるという精神から逸脱していると思います。消防設備の説明なんかもそうですけど、わざと分かりにくくしているとしか思えません。
Commented by 花街消息 at 2016-11-14 23:59 x
太夫の名称の独占使用権を持っている人・団体いますか?いないようです。そんなら太夫風タレント・太夫風舞踊家・太夫風京都コンシェルジェ・太夫風かしの式演技者・太夫風太夫道中熟練者・太夫風大学教授……が太夫を名乗ってお商売するのに鑑札・許可はいりません。風俗営業行為、言い換えればはべり接待を伴わない限り合法です。輪違屋太夫さんベンチャー太夫さん両方とも平等に商売繁盛を祈ります。
Commented by gionchoubu at 2016-11-15 16:56
> 花街消息さん

昭和33年より、太夫さんも芸一本で勝負できるよになり、ある意味本来の太夫さんのステータスを維持できるはずと思います。
なにより私が、勝手ながら、太夫さんに求めるのは、人間としての品格と女性の神秘性です。
そして、世界に太夫文化を再認知(明治~戦前太夫道中が海外の方にも人気がありました。)はしてもらうのも、この二つと芸が調和した時、自然と道が出来ると思います。大衆化路線が取れないのは弱みでもあり、強みでもあるでしょう。
Commented by 植松 at 2016-11-20 14:49 x
現代の花街、お茶屋が風営法の対象となるため、
学校の近くにお茶屋が開業できないと聞きました。

また、娼妓が無くなっても風営法の適用があるのは
芸妓舞妓が客の隣に座るからと聞いたことがあります。
お座敷は当然に隣になり、お茶屋バーでもカウンター越しだけというわけにはいきませんね。
Commented by gionchoubu at 2016-11-21 16:20
> 植松さん

現在の風営法は昭和23年の法律がもとで、お茶屋は待合のくくりです。カフェーなんかとうの昔に無くなっていますので、テレビゲーム云々を入れるなら除去し、時代に則すべきかと思います。

第二条  この法律において「風俗営業」とは、次の各号のいずれかに該当する営業をいう。
一  キヤバレー、待合、料理店、カフエーその他設備を設けて客の接待をして客に遊興又は飲食をさせる営業
二  喫茶店、バーその他設備を設けて客に飲食をさせる営業で、国家公安委員会規則で定めるところにより計つた営業所内の照度を十ルクス以下として営むもの(前号に該当する営業として営むものを除く。)
三  喫茶店、バーその他設備を設けて客に飲食をさせる営業で、他から見通すことが困難であり、かつ、その広さが五平方メートル以下である客席を設けて営むもの
四  まあじやん屋、ぱちんこ屋その他設備を設けて客に射幸心をそそるおそれのある遊技をさせる営業
五  スロットマシン、テレビゲーム機その他の遊技設備で本来の用途以外の用途として射幸心をそそるおそれのある遊技に用いることができるもの(国家公安委員会規則で定めるものに限る。)を備える店舗その他これに類する区画された施設(旅館業その他の営業の用に供し、又はこれに随伴する施設で政令で定めるものを除く。)において当該遊技設備により客に遊技をさせる営業(前号に該当する営業を除く。)
Commented at 2016-12-16 18:53 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by gionchoubu at 2016-12-17 12:02
> 今紫さん

私としては、一現(本来この字を充てます)さん御断りの世界を、一般の方に垣間見ていただくように努力する方向で、潮目が変わるのを信じるのみです。
Commented at 2016-12-17 12:37
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by こうざん at 2019-07-15 00:16 x
花街関連用語教えていただき有難うございます。八幡花街「大高楼」遺品については、近江八幡市市史編纂室の担当者は、八幡花街の女は娼妓ととらえているようで太夫、芸舞妓古写真等、公開できないとの雰囲気で幕末の志士と芸舞妓たちの遺品が日本を動かせた片りんととらえる私は憤りを感じます。私の八幡芸舞妓たちが芸を売るおんなであったと思う証拠は、市の専門家も知らなかった、私が見つけた八幡の街の氏神である日牟礼八幡宮の玉垣には芸舞妓の名が多く彫られており、身を売る娼妓であれば、絶対に寄進させなかったと思われ、元八幡資料館長の河内先生も同意見でした。花街という一般には表に出にくく書いたもので残りにくい世界のわずかな火災遺品ではあるが、その時代の豪商たちの名がみえる遊興記録、京都からの芸舞妓見受け書、八幡花街に来遊し書き残した書画などの行き先は彼女たちと同じく消え去る運命なのか?  合掌
Commented by こうざん at 2019-07-15 14:52 x
祭日の一日、貴ブログ八幡花街池田町3編ゆっくり読みました。ブログ八幡花街看板の数軒先が私の現在住居です。昭和二十一年八幡花街の中心池田町二丁目に生まれ、先祖の江戸時代は町内年寄り役をし、一時期検番修理の折には当家に借り検番を置きました。江戸時代日本有数の花街池田町、その名ごりを昭和30年代まで朝な夕な子供心に感じ、銭湯へ急ぐ芸妓を見たものでした。日常生活で周囲に昔芸妓の婆さんたちや、地元旦那と結婚した人も多くいました。又戦後のもののない時代でも、町の子供、娘たちは、日本舞踏、茶道、華道を習うことが当たり前の世界でした。数十軒あった茶屋は規模が大きく、300坪(1000m2)/軒以上で調度品もその時代一流作者の書画が見られました。池田町花街ブログに参考にされた八幡町史に書かれた「大高楼」梁川星巌の「星巌の間」古写真と扁額、書ふすま、八幡生まれ彦根藩士 西川吉輔の書など江戸から昭和の「大高楼」「京初楼」京春楼」調度品は当家が保管しております。又、昭和の初めに焼けた芝居小屋「共同座」の古写真は経営者の親族が、大阪に移られる前の日に一枚探し当られ、私がお借りし複写を残しました。、小屋は升席、花道があり、舞台は回り舞台せり上がりもある立派なものだといわれています。その舞台に数十人の芸妓、舞妓、が見られる古写真が残っており、大正の頃も八幡花街は繁盛していたと思われます。又、私の子供の頃、昭和二十年代、八幡町内の祭り、左義長祭りの日には他町の左義長も池田町二丁目の大茶屋「金鷹」(旧大高楼)を訪ねなじみの芸舞妓と踊り狂い、町内を出るまで左義長の手綱を芸舞妓が引いた華やかな風景を瞼に浮かべながらきぶろぐを読み終わりました。 合掌
Commented at 2019-07-16 14:29
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。