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by gionchoubu
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五条楽園ぞめき その二十二

この二つの赤枠の間が六条新地です。つまり七条新地の中に遊里化していない六条新地が挟まれるように存在した事になります。
黄色く塗られた所が明治の初めの七条新地で、七条側は東の一部(上二之宮町と下二之宮町の一部)を残して米会所及び外商売りになっています。

赤枠が江戸期の五条橋下で七条新地より出稼ぎ地として、都市町、平居町、南京極町の三町です。明治の初めには黄色い部分が五条橋下で、東側の都市町が遊廓から外れ平居町と南京極町の二町のみになりました。
以上七条新地、五条橋下とも『京都府下遊廓由緒』に依ります。

大正元年八月二十三日の区域として始めて旧六条新地の一部で菊浜町と高宮町、そして高松町と平岡町の一部が加えられました。赤枠に黄色部分を加えた区域です。
この区域がほぼ五条楽園に引き継がれました。
by gionchoubu
| 2016-11-01 13:29
| 五条楽園
|
Comments(2)
祇園東新地や宮川町は芸妓と娼妓が居たわけですが、
芸妓=娼妓を兼ねていたわけでは絶対にありません。
ところが、ヤトナ、新妍芸妓は、両方を兼ねていたと思います。
これらのことが明確に記された書物を熱望します。
「京の花街」にはやんわりと書かれています。
芸妓=娼妓を兼ねていたわけでは絶対にありません。
ところが、ヤトナ、新妍芸妓は、両方を兼ねていたと思います。
これらのことが明確に記された書物を熱望します。
「京の花街」にはやんわりと書かれています。
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> 植松さん
北陸の芸妓さんは芸妓、娼妓の二枚鑑札が多かったとききます。
ヤトナさんに関しては、技芸倶楽部にまとまった記事がありました。(ただし所蔵の府立資料館がリニューアルで休館中)
新研さんの纏まった記述は、私の知るかぎり「京の花街」だけでした。
北陸の芸妓さんは芸妓、娼妓の二枚鑑札が多かったとききます。
ヤトナさんに関しては、技芸倶楽部にまとまった記事がありました。(ただし所蔵の府立資料館がリニューアルで休館中)
新研さんの纏まった記述は、私の知るかぎり「京の花街」だけでした。
