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花街あれこれ *このブログに掲載されている写真・画像を無断で使用することを禁じます。


by gionchoubu

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五条楽園ぞめき その二十一

五条楽園ぞめき その二十一_f0347663_12402624.jpg
もう一度灯りをともして見たい・・・

つい先日(平成28年10月19日)の京都新聞の朝刊の地域プラスに『旧花街(京都市下京区・菊浜学区)“お茶屋情緒で活気再び”の記事が載りました。

菊浜学区はおよそ「北は五条通り、南は旧柳原村の各町、東は鴨川、西は北方が河原町通、南方が土手町通にわたる旧学区」『京都市の地名』とあり、ほぼかつての五条新地・六条新地・七条新地を併せた領域になります。

記事によれば、10月1日の推計人口は1278世帯1883人、大正から昭和初期に建てられた、お茶屋の意匠を凝らした木造の建物が今も多数残るとあります。
2011年にお茶屋組合が解散して、街の明かりが一度は消えかけたが、景観に引かれて観光客が訪れるようになりました、ともあります。

私の印象では、解散以前は、昼でも地元の方以外、そうそう気軽に立ち寄れる感じでは無く、徐にカメラを構える雰囲気も有りませんでした。

現在は、景観に引かれて人が集まるというより、新しい若い方が住みはじめたり、通勤路として使ったり、特にこの一年は民泊の外国人が大変増えたと思います。

記事には1958年に戦前から続いた遊廓が廃止された、と書かれていますが、実際には1946年に日本国内の総ての遊廓は廃止されました。ただし旧遊廓地帯での売春に罰則は無いという、所謂赤線地帯の通称で、旧七条新地地域として1958年まで営業を続けたのです。

売防法が実施された後、七条新地は新たに五条楽園の名で2011年まで営業を続けました。

この売防法直前の七条新地の様子を、錦織綱男著『遊女と街娼』で

“居かせぎ制の七条新地は時間で四百円、泊りは千円平均。組合費、衛生保険費などで三万円程度の収入となるわけである。「転業しろといったって、これぐらいのサラリーを出す会社ある?」と彼女達は業者の意を含んで白い歯を見せる。その上、府警本部の調査だと、前借金は彼女達の八割が持っており、最高十一年万円から最低二万円、平均して五万二千円といったところ。前借金を持っていない女も四00名ほどいるが、足を洗うところまで決心つかないのは、この収入が魅力なのである。”

「なーに、売春防止法で売春がなくなりますかいな。いままでの廓とは形の変ったモグリの赤線地帯が出来まっせ。」

と、七条新地の業者はにやりと笑ったといいます。

五条楽園ぞめき その二十一_f0347663_12404966.jpg
                 残って頂きたい風景、ウサギは左の建物です。

by gionchoubu | 2016-10-27 12:42 | 五条楽園 | Comments(10)
Commented by 今紫 at 2016-11-11 16:57 x
こんにちは。先日の京都新聞の記事、読みました。一部異なるとはいえ五条楽園の事を伝えているのは確かです。昨日まで容易に近づくことさえ出来ない環境がカフェやシェアハウスが誕生するのは誰も予想しませんでした。

>「なーに、売春防止法で売春がなくなりますかいな。いままでの廓とは形の変ったモグリの赤線地帯が出来まっせ。」

この態度が七条新地を破滅させたのは間違いありません。現代も娼妓営業している東京吉原、大阪飛田、松島、その他の遊廓・赤線から生き延びた「新遊廓」はその事を考えなければなりません。
また、芸妓本位の花街(祇園、先斗町、上七軒、宮川町、他)も他人事ではないことを肝に命じるべきです。最近、プライベートをSNSでさらけ出し、騒ぎ品位を損なう芸妓衆があとを絶ちません。

五条楽園(七条新地)の首を絞めたのは五条楽園(七条新地)自身です。もし、七条新地が芸妓本位ならどんな姿を今に残していたのでしょう。
Commented by gionchoubu at 2016-11-11 18:06
> 今紫さん
私としては、大阪の南地五花街、堀江、北新地、新町そして名古屋の十二連が姿を消したのが大変残念です。
Commented by 植松 at 2016-11-12 00:21 x
映画・廓育ち。
宮口精二が
「新しい検番を作って、おやまを新妍芸妓にして、
客と惚れあって寝たということにしたらよい。
名案やろう」
と言っていました。
Commented by gionchoubu at 2016-11-12 11:30
> 植松さん

ですから、こういったお茶屋さんでは(警察に突っ込まれるので)絶対布団を置かないわけですね。
この総称がちょんの間と言われるのだと、私は理解しています。
念の為申し上げますが、私は利用したことは有りません。
Commented by 今紫 at 2016-11-12 16:22 x
>大阪の南地五花街、堀江、北新地、新町そして名古屋の十二連が姿を消したのが大変残念です

戦争による影響が大きいと思います。矢の字結びが特徴の大阪の舞妓さんの写真をネットで見たことがあります。ミナミ(島之内)で唯一残されているお茶屋さんはイベントスペースと化していているのは残念というしかありません。私は一回、お茶屋さんに上がっただけで詳しく語る資格はありませんが飛田、松島(戦災に遭いましたが)、信太山、今里は皮肉にも花街の風情を残すことになりました。
Commented by gionchoubu at 2016-11-12 18:09
> 今紫さん

矢の字と文庫が多かったと思います。島の内のお茶屋さんはお母さんは元南地の芸妓で、今息子さんが若旦那として、住吉大社の御田植神事にも嘗ての新町の替わりに携わっておられます。
その新町には数年前前にビルの一画に検番を掲げた部屋がありました。かつての芸妓さんの保険等の残務処理をされていたと想像できます。
北新地には最近まで平田席がありましたが、廃業されました。
堀江はかつての廓内の和光寺に“堀江廓”と掘られた石柱が建ちます。
何れ全部ブログで詳しく書くつもりです。



Commented by 植松 at 2016-11-12 19:20 x
今里新地も焼けています。
戦前はいま大きな公園があるあたりです。

戦後はその南側に再建され、やはり芸妓娼妓両道でした。
お茶屋の娘さんが某役者の夫人で、昔話をよく伺いました。
いまはお茶屋を廃業して、賃貸マンションになっています。
Commented by 植松 at 2016-11-12 19:24 x
大阪のあの帯は、きっちゃ結びと聞いたことがあります。
歌舞伎の腰元のあの結び方に似ていますね。

南地大和屋のへらへら踊りは
松竹新喜劇でよく見ました。
大和屋にあった能舞台が大神神社に移築されるそうです。
Commented by gionchoubu at 2016-11-13 11:15
> 植松さん

明治に松島、大正の飛田、そして昭和になって虫しか鳴かぬ今里に大軌鉄道(現近鉄)が開発した土地に今里新地が誕生しました。
もう一つ港区の市岡パラダイスの隣に港新地(夕凪新地)で芸妓もおりました。

今里新地を示すアーチは最近無くなりました。
昔話、是非私も聞いてみたいものです・・・
Commented by gionchoubu at 2016-11-13 11:22
> 植松さん

吉弥のことですね。

私もDVDで持っていますが、舞台はみていません。大和屋、新大和屋、大阪は大変な財産を失いました。先斗町の芸妓でへらへらをする妓がいるそうです。
へらへらへったらへらへらへ、はらはらはったらはらはらは、
芸妓がひょっとこの様な顔をするのに萌る男が続出したとか・・・